ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
ケルムの計画
帝国暦九十三年 陽翼の月・太陽の日(現代暦:九月中旬)
フィルクルとの遭遇戦から二日が過ぎた。
ラムリーザは自分からフィルクルへ近づかず、向こうも近寄ってこなかったので、その後は特に衝突もなく、淡々と過ごしていた。
そしてこの日、昼休みにラムリーザは校舎と校舎の間にある中庭で、一人でぼんやりと横になっていた。ここなら、誰かに絡まれることもないだろう。そんな軽い気持ちもあった。
リゲルはロザリーンとどこかに行ったし、ソニアはリリスやユコとまだ昼食中だ。ジャンは今や、どちらかといえばリリスに張りついている。ラムリーザとリリスのどちらかを選ぶなら、迷わずリリスのほうへ行くようになっていた。
そんなことはどうでもいい。ラムリーザは、目をつぶって半分昼寝状態だった。
「ラムリーザ」
そのとき、すぐ近くから、ラムリーザを呼ぶ声がした。ラムリーザは、ハッとして目を開ける。視界の隅に、苦手な人物の姿が映った。
「ケルムさん、えっと、こんにちは」
ラムリーザは、身を起こしながらぎこちなく挨拶をした。
「そこは観賞用の場所です。芝生に入るな、という立て札が見えませんでしたか?」
「えっ? そうだったっけ?」
ラムリーザは慌てて立ち上がり、芝生の外に出ようとしたが、目に入った立て札にはこう書いてあった。
『芝生から出るべからず』
ケルムから見ると、立て札の裏側になる。表には、おそらく『芝生に入るべからず』とでも書いてあるのだろう。つまり、一度禁を破って中へ入れば、二度と出ることのできない魔境だったのだ。
「えっと、芝生から出るなって書いてあるよ」
ケルムは、怒ったような顔で立て札の裏を見て、ため息をついた。
「また誰かのいたずらですね。それならそれでいいでしょう」
こういったところは、ケルムがもともと風紀監査委員を担当していたというのもあるだろう。細かいところまで秩序が保たれていないと気が済まない、そんな気質なのだろう。
そこでラムリーザは、ケルムが一人ではないことに気がついた。表面上は互いに無関心を装っているが、ある場所では顔馴染みとなった相手、ウサリギだ。彼とは、学校の裏山でよく見知った相手だった。
ウサリギは、もともと「ポッターズ・ブラフの悪の双璧」と呼ばれており、ケルムを守る二人組の一人だった。しかし、レフトールが離反した今は、ウサリギ一人となっている。彼はラムリーザの尋常ではない力に気づいており、少なからず警戒していた。
ケルムはラムリーザにウサリギをけしかけに来たのだろうか? いや、そうではなかった。ケルムがわざわざ昼休みの中庭まで来た理由が、芝生の立て札だけであるはずもなかった。
「ラムリーザ、あなたは今回の爵位の話を聞いていますよね? あなたの家の爵位は、どうなりました?」
ラムリーザは、やはりこの人はそこが気になるか、と思いながら答えた。
「えーとね、公爵だったかな。父が公爵になり、母が公爵夫人になっただけだよ。僕はまだ未成年で爵位とは関係ないから、気にしなくていいと思う」
「やはりね……」
ケルムは、険しい顔つきになる。ケルムの父親は地方領主として、伯爵号を授かっていた。
一方、ラムリーザの家は公爵家となった。母ソフィアは現皇帝の姉であり、フォレスター家は皇室とも深く関わっている。かつてフォレスター家は、マトゥール島などの天然資源を基盤とする産業を有していた。そこに目を付けた皇帝は、ラムリーザの父へ自分の姉を嫁がせるという形で、その力を取り込んだのだろう。
フォレストピアの開発には、フォレスター家の次男であるラムリーザへ、新たな役割と領地を与える意味もあったのだろう。兄ラムリアースには公爵家の跡継ぎという道がある一方、ラムリーザの立場は宙ぶらりんになりかねなかったからだ。
「ラムリーザ、あなたはこのポッターズ・ブラフ地方の支配に興味はないかしら?」
ケルムは、意味深な問いを投げかけてくる。しかしラムリーザは、迷わずに答えていた。
「いや、僕はフォレストピアで十分だよ。ポッターズ・ブラフは、ケルムさんの家が治める場所でしょう」
ラムリーザがそう答えたとき、ケルムは少し歯ぎしりをした。静かな中庭にかすかに響いたその音を聞き取り、ラムリーザは「えっ?」と首をかしげる。
「なんでもありません」
ケルムはすぐに、いつものすまし顔に戻って答えた。
帝国で、隣国ユライカナンとの交流都市の話が持ち上がったときから、ケルムは自分のヒーリンキャッツ家が新開地の開拓を任されると思っていた。しかし蓋を開けてみればフォレスター家が入ってきて、勝手に町の名前まで決めてしまっていたことに、ケルムは不快感を覚えていた。
そこに今回の爵位授与の話である。ケルムは、ラムリーザの家の強さを無視できなくなっていた。正面から潰すには大きすぎる相手ならば、別の形で手中に収めるしかない。
「あなた、私と付き合ってみませんか?」
その言い方は、告白というより条件の提示に近かった。
「えっ? 急になんで?」
ケルムの突然の提案に、ラムリーザは驚いて思わずのけぞる。ケルムの瞳を見返すが、彼女は普段どおり、きりりとした少し怖い表情を浮かべている。
「近いうちに、計画を立てます」
慌てるラムリーザをじっと見据えたまま、ケルムは毅然と言い放った。その冷たい瞳には、拒絶を許さない強い意志が宿っている。
「いや計画って、ちょっとま――」
「あなたは私についてくればよいのです」
ケルムは、ラムリーザに話す隙を与えない。ラムリーザはソニアがいるからそんなことはできないと言いたいのだが、それをさせてくれない。そもそも、その計画が何を指すのか分からず、不気味に思えた。それに、「ついてくればよい」とは、いったい何なのだろう。ラムリーザは、口をパクパクとさせるしかなかった。
「僕には――」
「楽しみにしておきなさい」
結局ケルムは、最後までラムリーザに口を挟ませずに言いたいことだけ言い、一方的に約束したつもりになると、すぐにきびすを返してしまった。
ラムリーザは、ケルムの言うことがよくわからなかった。自分と付き合うよう一方的に求めてきたが、ソニアがすでにいるのに強引に話を押し進めようとしてくる。
そのとき、なぜかリゲルの言っていたことが脳裏に浮かんだ。ユライカナンの文化にある、正室と側室というもの。まさか、ケルムとソニアの二人と、そういった関係を持てということなのか?
否定しようにも、ケルムはウサリギを率いてすたすたと遠ざかっていく。今さら追いかけるのも、なんだか妙な気がして、その後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
「そういえば、去年の今頃までは、レフトールもあそこに並んでいたのだよなぁ」
ふと、そんなつぶやきが漏れる。
ケルムは何も言わないが、レフトールに去られたことを、内心では快く思っていないだろう。ラムリーザは、自分の知らないところで、レフトールがケルムやウサリギとの確執を抱えているのかもしれない、と考えた。ただし、レフトールには彼なりの考えもあるだろうから、ラムリーザはレフトール本人の意思を尊重し、口出ししないでいた。
「あーあ、ケルムさんはめんどくさいなぁ」
ラムリーザは、再び立入禁止になっているはずの芝生に寝転がった。
校舎の間から見える青空を見つめながら、ロザリーンやユグドラシルが属するハーシェル家が、この地方の領主だったら過ごしやすかっただろうなぁ、などと考えていた。もしもそうなっていれば、ラムリーザ、リゲル、ロザリーンの三人のつながりを通じて、この地域一帯に強固な連帯を築けていたかもしれない。しかし、別の考えも存在する。
「でもロザリーンも真面目だしなぁ」
ただ、それならロザリーンまでケルムのように堅苦しくなっていた可能性も、捨てきれなかった。
何はともあれ、皇帝陛下の気まぐれで爵位制度などというものが設けられてしまった。それがまた、ラムリーザの立場をややこしくしているようだった。
「あっ、ラム見つけた」
そこに、馴染みの声が聞こえた。ラムリーザにとって、誰よりも大事なソニアだ。ソニアはリリスとユコを連れ、三人でラムリーザのところに現れた。
ソニアは柵を乗り越えて芝生に入ろうとするが、ラムリーザに止められた。
「ここには入ってはいけないことになっているみたいだよ。そこの立て札を読んでごらん」
ソニアは芝生に突っ込みかけた片足を引っ込めて、立て札を覗き込む。そこには『芝生に入るべからず』と書いてあった。
「でもラムは入っているよ」
「知らずに入ったなら間違いで済むけど、知っていて入ったら怒られるんだよ」
ラムリーザは、ケルムとの話についてソニアに言いたくなかったので、あえて優等生らしく振る舞い、ソニアの間違いを正そうとする。しかしソニアは、立て札などお構いなく芝生に入ってきてしまった。リリスとユコも、一緒に入り込む。
「ねぇラム、さっきあの風紀監査委員とすれ違ったんだけど、何かあったの?」
「そうだ、ソニア。女爵としてはどうだい? うまくやっているかい?」
ラムリーザは、ソニアからケルムの話題が上がったため、やや強引に質問返しをして話題を逸らした。ソニアに話せば、きっと面倒なことになる。ケルムの話そのものより、その後のソニアの反応のほうが今は怖かった。
「ん~、何も変わらないかな」
単純なソニアは、簡単に話題の切り替えに乗ってしまった。だからラムリーザは、そのまま同意する。
「そんなものだよね」
だが、次にソニアが言ったことは、ある意味深いものだった。
「ラムもそうだよ。ラムが公爵になっても、大魔王になっても、あたしにとってはラムはラムだから」
ただし、いろいろと間違っているのが残念だ。まず前者、ラムリーザが公爵になったわけでも、将来的に公爵の地位を継ぐわけでもない。後者の大魔王については、説明無用であろう。
それに加えて、ソニアとラムリーザが二人きりなら、彼女の愛情が伝わる名場面――とまではいかないかもしれないが――で終わっただろう。しかしリリスとユコ、特にリリスがいたことで謎の展開に発展していく。
「女爵閣下!」
リリスが口にした「閣下」とは、男爵以上の貴族に対する敬称である。ただし、女爵というのはソニアの中にしかないものだから、この場合正しいのかどうか不明だ。いや、女爵の時点で間違っていると言えるだろう。
「なによ平民」
ソニアの返しは、選民思想に凝り固まった冷たいものだった。というより、平民同士で意味のない呼び方をしているだけだ。しかしそれに対するリリスの返しは、ソニアにとって辛辣であり、それでいて正確な事情を述べていた。
「私は女爵って意味不明な爵位を僭称するぐらいなら、一介の平民でいたほうがマシだわ」
「まっ――なっ――」
ソニアはリリスに言いくるめられて、顔を真っ赤にしながら口をパクパクとさせる。そこにリリスはさらに追い討ちをかけてくる。
「皇帝は帝国に一人だけ、だから尊いし希少価値。女爵も帝国に一人だから、ある意味、希少価値のある貴重品だわ」
「そっ、そうでしょうよっ! あたしも尊びなさいよっ!」
ソニアは必死に、リリスへ同意を求める。しかし、リリスの言葉はまだ続いていた。その先は、さらにソニアを陥れるものだった。
「皇帝陛下は帝国の最頂点におられる方。でも女爵はその反対で、帝国で最底辺の者に与えられる称号。奴隷よりも階級が低い、存在意義がよくわからない不思議な存在。くすっ」
「根暗吸血鬼は動物以下の存在! 人間ですらない汚らわしい悪魔!」
結局、ソニアとリリスは、ラムリーザのそばで騒乱を引き起こすためにやってきたようなものだった。ただしリリスは落ち着いて煽っているだけなので、騒いでいるのはソニアだけ。いつもどおりだ。
ラムリーザはそれでも、ケルムとの話を根掘り葉掘り聞かれるよりは、こうして賑やかに騒いでいるだけのほうがいいかなと思い、ソニアの怒声を子守唄にして、再び目を閉じて休み始めるのであった。
ケルムの計画というものも気になってはいたが、今は深く考えるのをやめることにした。
ただ、考えないことと、何も起こらないことは別である。
青い空を白い雲が流れていき、昼休みの終了を示す鐘の音が響いた。お休みは、これまでだ。