ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記

The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle


ヘンカラ峠のへんこぶた

帝国暦九十三年 炎心の月・守護者の日(現代暦:八月中旬)

「いないなぁ……」

「いませんわねぇ……」

「あっちの茂みはもう探したかしら?」

 山道から少し離れた薄暗い森の中、三人の娘が何かを必死に探し回っていた。

 

 この日、ソニアとリリスとユコの三人は、朝からヘンカラ峠という場所に赴いていた。

 ヘンカラ峠とは、フォレストピアとポッターズ・ブラフ地方を繋いでいる峠で、ほとんどの人は汽車を使ってこの峠を越えるため、基本的にひとけのない静かな場所だ。

 足元には枯れ葉が積もり、踏むたびに乾いた音がした。汽車の音もここまでは届かず、三人の声だけが森の中で妙に大きく聞こえる。

 こんな場所になぜ来ているのかというと、昨日三人の会話の中で「へんこぶた」というものが話題に上がり、いろいろと議論しているうちに実際に探して捕まえてみようといった話になったのだ。

 へんこぶたとは、ヘンカラ峠にのみ生息しているという噂の、ブタに似た生物だ。ヘンカラ峠とエンカラ峠が混同されることもあり、えんこぶたという名前でも通っている。

 だいぶ前に、化学の授業でブタガエンの話を聞いて知ったものだが、へんこぶたをブタノールに浸すと、ブタガエンという物質が本当にできるのだろうか。一滴垂らすと、「エンッ」と音がするのか。好奇心だけがそこに存在していた。

 峠までの移動は、ラムリーザの屋敷にある車を借りて行くことにした。汽車では峠を登りきって、オーバールック・ホテルまで行ってしまうのだ。

 こんなこともあろうかと、というわけではないが、三人とも去年の夏休みに自動車の運転免許を取得していたので、運転そのものには何も問題はなかった。

 もっとも、リリスとユコはソニアの運転を嫌がったが、ソニアは「あたしの家にある車だから」などと、まるで自分がフォレスター家の一員であるかのような理論を展開して、無理矢理運転手を引き受けるのだった。

 駅から線路沿いにしばらく走り、ヘンカラ峠に差し掛かったところで線路から離れ、車は山道をくねくねと進んでいく。ほどよく登ったところで車を停められるスペースを見つけ、そこに停車してから、三人は道を離れて付近の捜索を始めた。

 

 峠の道から少し離れた場所は、ちょっとした森になっていて涼しい。へんこぶたはひとけのない場所に生息しているという噂なので、薄暗くなっている場所を見つけてはこっそりと近づいて探していた。

 へんこぶた――ブタに似ていて身体は薄いピンク色。大きさは小型犬や猫と同じぐらい。ふわふわとした体毛に覆われていて、まるでぬいぐるみのブタのような感じらしい。「ヘンコ」「エンコ」と鳴き、ブタに似ているがブタにあらず、そんな生物だった。

 人によってはゾウに見えるというが、学者の間でブタ目かゾウ目かをめぐって論争が繰り広げられていることでも知られている。ゾウ派は耳などがゾウに見えると譲らないし、ブタ派はこの肌の色と丸い鼻はブタにしか見えないと譲らない。

 ただしそれらの争いも、ソニアたちにはあまり関係のない話であった。

 午前中いっぱいかけて、三人は峠のフォレストピア側にある道沿いを、探索予定の半分ほどまで調べ終えていた。

 ヘンカラ峠に出没するという話だが、道の近くに出るのか、山奥に出るのか。前者ならばそのうち見つかるだろうが、後者なら厳しいものがある。それに捕まえてどうするのか? ブタガエンを作ってみるまではよいとして、その後どうするのか? いろいろと疑問は残るが、三人はわりと真剣だった。

 気がつけば、太陽は真上まで昇っていた。

 これまでは木陰があったが、真上から差し込む日差しは、木々も十分には遮ってくれない。

 三人は、ここでしばらく休憩して、日が傾き木陰ができるようになってから探索を再開しようということになった。

 途中の雑貨屋で買ってきたサンドイッチをほおばりながら、疑問をぶつけ合っていた。

「本当にへんこぶたっているのかしら?」

「ガセネタを授業で教えないと思いますの」

「実際に見た人いるの?」

「そんな話はあまり聞かないから、見つけて飼育して増やせたら、何か賞をもらえるかもしれませんわ」

「凶暴な動物だったらどうするのかしら?」

「へんこぶたという名前からして、凶暴な感じはしないよ」

「そうですわね。どちらかと言えば『へほ』って感じ?」

「何そのへほ?」

「最弱の称号ですの」

 なんだか適当な会話になってきているが、三人の意欲はまだ高かった。

 食事を終えて、再び三人は固まって捜索を再開した。バラバラに探さず、まとまって動いているところに意味はない。ただ効率を落としているだけだが、三人はその事実に気がつかないでいた。

 峠の頂上の方角を見ると、木々の間から大きな建物が遠くに見えている。

「なんだか立派な建物がありますわね」

「あれはナントカホテル。あたしあそこでパーティーに出たことあるよ」

「私は行ったことがないわ。なんであなたがパーティーに出られるのかしら」

「あたしは貴族だけどあんたたちは庶民、頭が高いのよっ」

 またしてもソニアは、虚勢を張ってくる。ラムリーザの付き添いでオーバールック・ホテルのパーティーに参加できていただけなのに、あたかも自分が主賓だったような物言いをしてくる。

 これにはリリスもユコも、むっとして言い返した。

「風船エルも庶民のくせに」

「へんこ」

「吸血魔女や呪いの人形よりはマシ。へんこ魔女にへんこ人形」

 ソニアはへんこぶたにちなんで、リリスとユコに変なあだ名をつけた。

 あまり道から離れると遭難するかもしれないので、必ず道が遠くに少しでも見える場所に絞って探索をしていた。

 このような場所は、ほとんど人は通らない。現れるとしたら、ずた袋を被ってナタを持った不気味な大男ぐらいだろう。

「しかしへんこぶた見つからないねぇ……」

「ユッコに付き合わされて無駄足を踏んだだけだったら許さないから。もし見つからなかったら、夕飯を奢ってもらうからね」

「何ですの! あなたも乗り気だったじゃないですか! 私だけに責任を押し付けないでください!」

「えんこ」

「だいたいどこにいるのよ!」

 とうとうソニアとユコは、口論を始めてしまった。この三人で口論が発生するとき、その一方は必ずソニアだ。

「ちょっと静かにしなさい」

 一方、リリスは落ち着いていた。今回一番真剣なのは、リリスかもしれない。へんこぶたのどこに惹かれたのかは知らないが……。

「何よ魔女リリス」

「へんこ」

「静かに!」

 突然リリスがきつい口調で制したので、思わずソニアは口をつぐむ。かわいいものに弱いなどとは絶対に認めないだろうが、リリスは先ほどから妙に目が真剣だった。

「どうしたんですの?」

「いるわよ、近くに」

「何が?」

「へんこぶたよ」

 リリスが真剣な表情で周囲をうかがっているので、ソニアとユコは口論を中断して周囲に耳を澄ませた。さっきまでくだらない言い合いで満ちていた森が、急に別の場所になったように感じられた。

 

「へんこ」

 

 そんなに離れていない場所から、かすかに独特の鳴き声が聞こえたような気がした。

「いるわ、近くにいる」

「ほんとに『へんこ』って鳴くのね」

「えんこ」

「でも『えんこ』とも聞こえるよ」

「へんこぶたともえんこぶたとも呼ばれているから、間違いではないですの」

 そこで三人は、息をひそめて近辺を念入りに探し始めた。へんこぶたは逃げ足が速いかもしれないし、こちらを警戒しているかもしれない。それに、ユコは「へほ」と言うが、ひょっとしたら凶暴な動物かもしれない。

 周囲は静まり返り、遠くの鳥の鳴き声と、近くで時折聞こえる「へんこ、えんこ」だけになった。

 三人はすぐに逃げ出せるよう身構えながら、そろりそろりと念入りに探していく。

 そのときソニアの目が、大木の根元に薄いピンク色をした、ふわふわしたものを捉えた。

「見つけたあっ!」

 思わず大声を上げるソニア。

「ちょっと叫ばないで、逃げちゃうじゃありませんの!」

 ソニアはそのふわふわに駆け寄る。ふわふわは逃げようとするが、のそのそとその動きは鈍い。

「なんだ、へんこぶたってとろい生き物なのね」

 ソニアの言うとおり、へんこぶたらしき生物はあまり俊敏には動かないようだ。
              
ヘンカラ峠の森で、リリスとユコが見守る中、ソニアがへんこぶたを頭上に掲げる場面
「やった! へんこぶた捕まえたーっ!」

 へんこぶたはすぐにソニアに捕まり、両手で抱え上げられて掲げられた。

「へんこっ! えんこーっ」

 へんこぶたは鳴きながらジタバタともがくが、その力は弱くソニアにがっちりとつかまれて、逃げ出すことはできない。そのうちへんこぶたは諦めたようで、「えーん」とか細い声で鳴き出した。

 ソニアはじっくりとへんこぶたを観察してみた。

 薄いピンク色なのは噂どおり、その体表はふわふわもこもこしていてまるでぬいぐるみのようだ。重さはさほどなく、ソニアは軽々と持ち上げている。丸い手足に、大きな耳。つぶらな瞳が可愛らしい。丸い鼻先が少し大きいのが、ブタと名付けられているゆえんだろうか。しかしブーブーではなくてへんこ、だからへんこぶたという別種なのだ。

 抱えられて困っている顔まで、どこか作り物めいていて、見ていると少しだけ気が抜ける。

 ソニアは、へんこぶたの顔に自分の顔を近づけた。へんこぶたは相変わらず、弱々しくえーんと鳴いている。

「あっ、待って! へんこぶたの鼻!」

 ソニアの様子を見て、ユコが慌てたように声をかけてきた。鼻がどうかしたのだろうか?

 ソニアとへんこぶたの鼻と鼻が近づいた瞬間、ソニアは「くっさ!」と叫んでへんこぶたを放り投げてしまった。

 へんこへんこと鳴きながら、もたもたと逃げようとするのを、今度はリリスが捕まえて持ち上げた。へんこぶたは、えーんと鳴いた。

「噂ですけど、へんこぶたの鼻は臭いから気をつけてくださいまし」

「早く言ってよ!」

 ソニアは食ってかかる。

「それで、どんな匂いがしたのかしら?」

 リリスは、へんこぶたの鼻に顔を近づけないようにしながら尋ねた。

「ん~、唾を手のひらにつけて、こすったあとのような臭い?」

「へんこぶたは鼻をなめているのかな?」

「誰かが鼻に噛みついたんじゃないの? それで唾がついて拭いたら臭くなったとか」

「有毒ブタという別名もあるらしいけど、洗えばしばらくは臭くなくなるんですって」

「えー、こいつ毒があるの?」

 ソニアは、リリスの抱えるへんこぶたを覗き込んだ。

 へんこぶたは凶暴な動物ではなかった。抱えていると逃げようともがくが、それほど力があるわけではない。そして弱々しいえーんという鳴き声。まるで子供が泣いているような鳴き声だ。

 三人は、へんこぶたを抱えて山道まで戻っていった。

 

 こうしてへんこぶたを見事捕まえたわけだが、これをどうするか?

「誰か飼いなさいよ」

 リリスは、へんこぶたの飼育を誰かに押し付けようとした。

「ソニアが飼ったらいいんですの。ラムリーザ様の屋敷に寄生させてもらっているから、広さだけはあるでしょう?」

「何よ、あたし寄生虫じゃない!」

「ラムリーザに寄生しているくせに、ヤドリギソニア」

「ネクロマンサーリリスは黙ってろ!」

「口論はもういいですの、ソニアに飼ってもらいます。これ決定ですの」

 とりあえずリリスはジャンのホテルに滞在中だから、ペットを飼えるかどうかは不明。ユコの家も、どうだかわからない。ここはフォレスター家の庭の一角に、小屋でも作ってもらうしかないだろう。もっともへんこぶたは動きがとろいみたいだから、放し飼いにしていても、すぐにはそう遠くへ行けないだろう。

 用意していたかごにへんこぶたを入れ、三人は車に乗り込んで帰宅を開始した。

「帰ったら、まずは鼻を洗うのよ」

「定期的に洗っていたら鼻も臭くないらしいですの」

「なんで臭くなるのよ……」

 それでも、近くまで行かないと臭わないので、普通に飼う分には問題なさそうだ。別に、車の中が臭くなるということにはならないようだ。

 

 フォレスター家の屋敷に到着。

 リリスとユコは、「無事に帰ってこれたー」などと、ソニアの運転を不安視していたことを隠さない。

 その一方でソニアは、「あたしは上級臣民だから、たとえ事故を起こしたとしても捕まらないの」と意味不明なことを抜かしている。

「ほんとにへんこぶたを捕まえてくるとは……」

 ラムリーザはその存在を半信半疑だったので、ソニアたちが捕まえてきた本物を見て驚いている。

「私、ブタノールを買ってきますの」

 ユコは、すぐに屋敷から出ていった。ブタノールはどこで売っているのだろうか? 薬局? 工務店? エルム街に行けば、とりあえず手に入りそうだ。

 その間に、ソニアとリリスは木材を買ってきて、庭の一角に大きなケージを作り始めた。作りながら、既製品のケージを買ったほうがよかったと気がついたのだが、後の祭りである。

 なぜかラムリーザは、へんこぶたの鼻を洗う仕事を押し付けられたので、洗剤と庭にある水道を使って鼻を綺麗に洗うのであった。洗い終わると、確かにへんこぶたの鼻は臭くない。

 こうして、フォレスター家にペット(?)が増えたのである。

 ほんの朝の思いつきで出かけたはずが、帰ってきたときにはフォレスター家の庭に妙な生き物が一匹増えていた。夏休みというものは、時々こういうわけのわからない成果を連れてくる。

 ケージが出来上がった頃、ユコがボトルいっぱいの薬品、ブタノールを持ち帰ってきたので、今夜はへんこぶたをそれに一晩浸しておくことになった。

 化学の授業で聞いたことが本当ならば、こうすることでへんこぶたとブタノールが化学反応を起こし、ブタガエンという化合物が出来上がるはずだ。適切に薄めたブタノールならば、生き物には害がないらしい。

 薄めたブタノールの入った容器の中で、へんこぶたは「えーんえーん」と鳴きながら水遊びのようにバシャバシャと跳ねていた。どうやら痛がっているわけではないらしいので、今夜はこのまま様子を見ることになった。

 周囲では、夏の夜の虫たちが大合唱を始めている。

 一晩、薄めた薬液に浸ければブタガエンができるか。それを一滴垂らすと、地面に落ちたときに液体なのに本当に「エンッ」と音がするのか。それとも、やっぱりただのガセネタとしてソニアたちの笑い話になるのだろうか。

 答えは明日の太陽が教えてくれる。フォレスター家の庭に加わった新しい住人の気配を感じながら、更けていく夏の夜は、どこまでも静かで、そして少しだけ奇妙な期待に満ちていた。