ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
拳だけの流儀
帝国暦九十三年 翠雫の月・騎士の日(現代暦:五月上旬)
この日は再び、フォレストピア駅前の大倉庫でユライカナンの文化に触れる日だ。ラムリーザはいつものメンバーを率いて、昼下がりに大倉庫に到着した。
今回体験するのは、ユライカナンでは「バクシング」と呼ばれているスポーツ。響きだけ聞けば少し間の抜けた名前だが、内容は拳だけで戦う、かなり硬派な格闘技だった。
格闘技と言えば、今回同行しているメンバーで心得のありそうなのは、レフトールとソフィリータ。だが二人とも蹴り技が得意で、拳はそれほど使わない。
去年、ラムリーザがレフトールと決闘したとき、ラムリーザは主に拳を使って戦ったが、レフトールの攻撃に対して、捨て身のカウンターとして放っただけで、これはラムリーザ自身の打たれ強さがあってこその戦法だった。
だから、技術として優れているかと言えば、そうとも言えなかった。
それに対してバクシングは、拳だけで戦うのだそうだ。どうなることやら――。
駅前大倉庫の中にある一室は、昨日ジムを経営していると言っていた男の言葉どおり、スポーツ施設のように変わっていた。
「ようこそ、我がバクシングジム、レサー・ワイルドへ!」
昨日会った男が、豪快な声で迎えてくれた。昨日はパーティースーツ姿だったからあまり気にならなかったが、こうしてシャツ一枚のトレーニング姿で見ると、なかなか筋骨たくましい。
「よろしくお願いします」
一同は、最初だけはきちんと挨拶しておく。このあたりは礼儀正しい。
部屋の中には、でんと大きなリングが設置されていた。これはプロレスで使うものとそっくりだ。
それ以外には、天井から縦に長い筒状のものが吊るしてあった。
「リングはわかるけど、あれは何ですか? えーと――ラムリーザです、よろしく」
ラムリーザは、吊るされたものを指さしながら、自己紹介と質問を同時に済ませた。
「おう、俺はゴジリだ。あれはパンチングバッグだ。あれは中に砂が詰まっていて、ボコボコ殴って打撃練習するのだ」
すでに好奇心旺盛なミーシャとソニアは、そのパンチングバッグに群がり、表面をさすっている。
「それは殴るものだそうだ」
ラムリーザとゴジリの会話を聞いていたリゲルが、二人にそう教える。
そこで早速ミーシャは「一番槍!」とばかりに、そのパンチングバッグを殴り始めた。
ペチペチペチ――。
なんとも情けない音が、ジム内に響く――ほどでもない。その動きは、まるで誰かの胸を「ばかばか」と言いながら叩いているようにしか見えない。
ミーシャは叩いている途中で、「あれ?」と言いたげな顔でソニアを見た。次の瞬間――
「バカっ、バカバカっ、ラムのバカ! ふえぇ~ん!」
なんとも媚びた、甘えたようないつもの声で、何か叫びながらパンチングバッグをペチペチ殴る。
その叫び声は、先日のだまで遊んだときに、ソニアがラムリーザに泣きついたときの台詞と同じだ。不思議な踊りといい、この仕草といい、ミーシャはソニアを真似することに関してはなぜか一流だ。
リゲルはふっと笑うが、面白くないのは真似をされたソニアだ。
「どけっ! 媚び媚び娘!」
ソニアはミーシャを押しのけて、パンチングバッグの前に立ち、ミーシャに代わって殴り始めた。
パフパフパフ――。
これまたなんとも情けない音だ。
バッグに拳が当たるたび、ソニアの豊かな胸元がその振動で大きく波打っている。
本人は至って真面目に殴っているつもりなのだろうが、その無防備で圧倒的な存在感は、リングサイドの男子たちから目のやり場を完全に奪ってしまっていた。
「エルはパフパフだったら拳を使わずに、その胸を使ったほうがいいと思うぞ?」
ある程度予測はついていたが、早速ジャンがからかってくる。
ソニアは何も言わずに、パンチングバッグを叩くのをやめたかと思うと、振り向きざまにジャンへ回し蹴りを放った。
ジャンは意表を突かれたが、なんとかギリギリで蹴りをかわすと、そのまま逃げ出してしまった。ソニアはその後を追いかけた。「焼肉のタレめーっ」と叫びながら。
ソニアの後に、パンチングバッグの前に立ったのはソフィリータだ。
ソフィリータは最初は軽く殴っていたが、そのうち殴っているだけでは物足りなくなったのか、突然パンチングバッグを蹴り出した。ソフィリータは蹴りが得意なので、こちらのほうがしっくりくるのだろう。鋭い蹴りは、ビシバシといい音をさせている。
「ほう、お嬢ちゃんは結構いい蹴りを持っているねぇ」
ジムの管理人であるゴジリは、ソフィリータの蹴りを見ながら感心したようにつぶやいた。
ソフィリータはそれを聞いて得意げになり、下段、中段、上段と打点の高さを変えた三連撃を披露している。
「一発、思いっきり蹴ってみ」
そこに口を挟んできたのはレフトールだ。レフトールも蹴りを得意としているので、なんとなく対抗してみる気になったようだ。一度ソフィリータから攻撃を食らったことはあるが、あれはトリッキーな攻撃だった。油断していたというのもあって、レフトールはそれほど気にしていないようだ。
ソフィリータはレフトールに言われて、少し溜めを作ってから水平に近い蹴りを放った。ジム内に、バシッと景気のいい音が響き渡った。パンチングバッグはユラユラと揺れている。
「こんなところでどうでしょう?」
ソフィリータは、レフトールのほうを振り返って尋ねた。レフトールは、ニヤニヤと笑いながら「どいてみ」と言った。
今度はレフトールが打撃を見せるようだ。
レフトールは、数回軽くパンチングバッグを蹴り、タイミングや打点を計っているようにも見えたが、次の瞬間思い切り踏み込んで下段蹴りを放った。
今度はジム内に、ズドッと鈍い音が響き渡る。違いは音だけではない。ソフィリータが蹴ったときと違い、パンチングバッグは大きく揺れた。ソフィリータが蹴ったときと比べて、その揺れ幅は明らかに大きい。
「ふむ、君のほうが打撃は重そうだが、それは体格や体重の差によるものだな」
ゴジリは冷静に分析しているが、「だがバクシングは蹴りは使わない」と締めくくった。
「重さは仕方ないです。でも、私の上段蹴りが頭にヒットしたらダウンを奪えますよ。以前あなたに放った蹴りでもよろしいですよ」
ソフィリータもレフトールに対抗心を持っているようだ。以前放った蹴りとは、「前方宙返り式二段踵落とし」とでも呼ぶべきか。ソフィリータオリジナルのトリッキーな蹴り技だ。
しかしレフトールも冷静にやり返す。
「当たればな。例えばラムさんみたいに、ガッチガチに頭をガードするような相手に対して上段蹴りはあまり意味がないぞ。それにカウンターを入れられる。さらにそのぐらいの蹴りだったら、身体に打ち込んでも効かないだろう」
「なんで相手がリザ兄様なんですか?!」
「ふっふっふっ、この一撃必殺の下段蹴りは別名『フォレスター・キラー』と言う。さすがのラムさんも、重い下段蹴りを食らえば転倒するさ」
「あなたはまだリザ兄様の首を狙っているのですね!」
ソフィリータは憤慨して、レフトールに詰め寄る。
「とんでもない。番人たるもの、主人より弱くて守れるものか、ってな。俺はラムさんの騎士になるんだぜ。というか、リザ兄って何や。ラム兄でいいじゃねーか?」
「それだと上の兄様と区別がつきません!」
実際、ラムリーザには兄がいて、その名をラムリアースという。確かにラム兄ではどちらのことを指すのかわからない。ソフィリータは、リアス兄様とリザ兄様で呼び分けている。
パンチングバッグが空いたので、ミーシャが再びペチペチと叩き始めた。
「そうじゃない、そうじゃない。技術がないのに無理に殴ろうとしても、拳や手首を痛めるだけだ」
ミーシャのパンチを見て、リゲルは指導を始めたようだ。
「じゃあどうしたらいいの? リゲル兄やん」
「こうするのだ」
そう言うと、リゲルはミーシャの脇からパンチングバッグを殴る。いや、殴るという表現は間違っているかもしれない。リゲルは指を広げたまま、手のひらの付け根あたりをパンチングバッグにぶつけた。
「掌底打ちか。しかしバクシングでは掌底打ちは使わないんだな、これが」
ゴジリは、リゲルの攻撃を見てつぶやいた。
それでもミーシャは、リゲルに言われたとおりに今度は掌底打ちを繰り出し始めた。
トフトフトフ――。
しかし音は変わったものの、威力がないことに変わりはないようだった。
「うむ、それでいい。そのほうが安全だ」
「ミーシャパンチーッ」
「いや、パンチじゃないから」
リゲルは、掌底打ちを続けるミーシャを、まるで娘の成長を見るように、目を細めて微笑みながら見つめているのだった。
その一方で、ラムリーザは真面目にバクシングについてゴジリに尋ねている。
「バクシングって、このパンチングバッグ以外には、どんなトレーニングをやるのですか?」
聞いたうえで、いろいろと体験してみようというのが目的だ。
「そうだな、ロープとかだな。いわゆる縄跳びだ」
「縄跳びですか」
「下半身を鍛え、リズム感を養うのが目的だな」
「他に何かありますか?」
縄跳びなら学校の体育の授業でやったことがあるので、話を次に進めた。
「シャドーワークだな。鏡の前でフォームをチェックだ」
ジムを見渡すと、大きな鏡が置いてあった。
だがその鏡の前では、リリスとユコがポーズを取って遊んでいる。モデルにでもなった気分でいるのだろう。格闘技のジムとは思えない、優雅な雰囲気を作り上げていた。
「あのお嬢ちゃんたちは、格闘家って雰囲気じゃないねぇ。結構美人だし」
「気にしないでください」
二人を見てゴジリはその容姿を褒めるが、今日の話には関係ないので話を先に進めた。鏡の前は二人が占領しているので、シャドーワークはできないだろう。
「んじゃ、ミット打ちでもやってみるか」
ゴジリは表面が平らなミットを身につけてリングに上がり、ラムリーザにも上がってくるよう促した。
「ミット打ちってどうやるのですか?」
リングに上がりながら、ラムリーザは尋ねた。
「このミット目がけてパンチを繰り出せばいい」
ラムリーザはそう聞くと、戦うための構えを取った。頭部を守るような、上段構え。ボディの防御は捨てて、とにかく頭を守る構えだ。
パンチングバッグの前にいるリゲルとミーシャ、鏡の前で自分の姿に見惚れているリリスとユコ、なんだかよくわからない追いかけっこをしているジャンとソニア以外は、いつの間にかリング脇に集まり、二人のトレーニングを観察し始めた。
「あーもー、また嫌なもの思い出してしもーたわ」
ラムリーザの構えを見て、レフトールはぼやいた。
レフトールはラムリーザと対決したとき、極端な上段構えを見て胴体に蹴りをぶち込んだのだが、その蹴りは通用せず、逆にカウンターでパンチを食らわされていたのだ。
「さあ来いっ」
ゴジリはミットを構える。そこにラムリーザは、踏み込んで一発パンチを叩きつけてみた。
ドスッ――。
重たいものがぶつかったような音が響き、ゴジリは一歩後ずさる。
「くっ、あのパンチが重たいんだよ」
レフトールはつぶやく。
「そういえば、リザ兄様はパンチを打ち込むトレーニングをよくやっていましたね」
ラムリーザとソフィリータは昔から、護身術として護衛役のレイジィから格闘技のトレーニングを多少は受けていた。
その過程でソフィリータは格闘技にはまり、蹴り技を鍛えて今に至る。一方ラムリーザはそれほど打ち込まなかったが、握力だけはなぜか鍛え続けたのだった。それで力だけは成長し、ゲームセンターのパンチングマシーンで高得点をたたき出している。
「けっこういいパンチを持ってるねー。だが打った後がいかん。パンチは打ったあと、同じ速度で元の位置に戻すべし」
確かにラムリーザのパンチは一撃に全力を込めるだけで、連打には向かない。力に頼ったパンチとも言えた。
「――などとジムのマスターに言われているけど、レフトールはその一撃で転倒してしまい、反撃できなかったわけだ」
いつの間にかパンチングバッグのそばからリング脇へ移動したリゲルが、レフトールを挑発する。
「なんや、あのおっさんはミットで受けているだけだから立っていられるんだ。あのパンチをまともに食らったら立っていられねーよ」
「避けられないのか?」
「ラムさんは攻撃させておいて、それを受けたうえでカウンターを放ってくるから避けられねーんだよ! 避けるつもりで攻撃してたら、こっちの攻撃を当てられねーよ! お前も一度ラムさんと戦ってみろよな!」
レフトールは憤慨してリゲルに食って掛かる。
「戦わずして勝つのも手だ。俺はラムリーザの参謀のような立場を確保したので、そもそも戦う必要がない」
「ぐぬぬ……」
レフトール程度ではリゲルの舌戦に勝てるわけがない。レフトールは、「誰かラムさんのアイアンクロー食らってしまえ」と悪態をついているが、無論誰も相手をしなかった。
リング上ではラムリーザが、ゴジリの指導を受けている。パンチを打った後の腕の戻し、体勢の立て直しをすばやく行う方法を実践していた。
そのときである。
「ラムと戦ってみるよ!」
ジム内に大きな声が響いた。
ソニアが、ラムリーザにバクシングでの勝負を宣戦布告したのだった。
みんなが呆然とする中、ソニアはリングに上がった。
リングの空気が、ほんの少しだけ変わった。遊びのはずなのに、ソニアの目だけは冗談じゃない。本気でラムリーザをボコボコにして、まるで夕食の主導権を握ろうという野心に満ちているかのようだ。
これから始まるのはスポーツとしてのバクシングではなく、いつもの「ソニアのわがままに付き合う日常」の延長線上にある儀式のようなものだと、ラムリーザはなかば確信していた。