ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
神のせそ汁
帝国暦九十三年 翠雫の月・竜神の日(現代暦:四月下旬)
フォレストピアは、隣国ユライカナンと文化交流をするために作られた街だ。そのため、ユライカナンから次々にいろいろなものが紹介されつつあった。
その一つに、「せそ」というものがあった。
せそは、発酵食品の一つで、大豆や米、麦などの穀物に塩と麹を加えたもので、ユライカナン料理の代表的な材料と言われている。
ユライカナンでは五大調味料の一つにも数えられていて、帝国でもおなじみの砂糖、塩、酢に、この「せそ」と「そょうゆ」を加えたものが、「調味料のさしすせそ」と呼ばれているほど有名だ。
そして今日、ラムリーザの住む屋敷の調理場で、このせそを使った「せそ汁」というものを作っている二人の娘の姿があった。
ソニアとリリスは、互いに視線で牽制し合いながら料理を進めている。
ことの発端は、いつも通りのリードボーカル争奪戦。
数日前、ラムリーザの元にせそとせそ汁の作り方が伝えられ、ちょうど材料になるせそを、ごんにゃの店主から土産としてもらっていた。
話題が重なり、このせそ汁を作って、おいしいほうが勝ちというルールで勝負が始まった。
珍しくソニアが言い出し、味の判定はラムリーザがやるということで話はついていた。
それから二人はせそ汁の作り方を調べ、そして今日、料理対決が始まったのだ。
リリスは、今日のために出汁というものを用意していた。
彼女は、数日前に勝負の話が上がってから、ユライカナンの料理について調べていた。その中に、出汁というものがあった。それはキノコや小魚を干したものを水につけ、煮出したり、水に浸して冷やしたりして作るものだった。
そのように調べた結果、この出汁というもので味がよくなると知り、事前に用意して持ってきていたのだった。
そこには、ラムリーザに自分の味を認めさせたいという、秘めた自負が滲んでいた。
出汁を入れた鍋を火にかけながら、野菜や豆腐などを切り刻んでいる。この豆腐もユライカナンから伝わったものである。大豆を加工したものらしい、というところまではわかったが、それ以上の情報は今のところ、ない。
一方ソニアは、独特な包丁の使い方が目立っていた。
包丁で材料を切るときは、かがみこんで顔の位置を調理台の高さまで下げて切っている。
これは普通に切ろうとすると、巨大な胸が邪魔でまな板が見えないので、胸の位置を調理台よりも低くすることで視界を遮らないようにする、苦肉の策だった。
二人とも料理をするのは、ほぼ初めてに等しかった。それでも、なんとなく楽しそうに料理をしている。
しかし、腕前のほうはどうだろう?
ラムリーザは食卓で待たされているが、ユコは調理場に入ってきていて二人を観察していた。
「たどたどしいですわね」
「黙ってて」
ユコがからかうが、リリスは相手にしない。
「ソニアも変な切り方をしていますわね」
「黙ってて」
ソニアもリリスと同じことを返す。楽しそうではあるが、意外にも二人とも真剣なのだった。
二人とも、せそを使うといった基本コンセプトは同じなのだが、具材はそれぞれ少しずつ異なっていた。
ソニアは芋を使っているのが特徴的で、リリスはキノコ類が多い。野菜もニンジンを使っているのは同じだが、ソニアはタマネギを入れ、リリスはナスを入れている。
それとは別に、ユライカナンではあまり使われないのだが、二人とも馴染みの豚肉を使っていた。これではせそ汁というよりは、豚汁と言ったほうが近いかもしれない。
「ふ~ん、せそってこんな匂いなんですのね」
しかしユコが何かを話しても、二人とも反応しない。黙々と手を動かすだけだった。
ユコは面白くないので、使っていないせそをラムリーザのところへ持ってきた。ラムリーザと一緒に、せそを確認してみようというのだ。
「しょっぱいね」
せその匂いは落ち着くが、これが二人の感想だった。ただ「しょっぱい」というだけでは表現しきれないが、二人の舌ではそれが限界だった。
鍋の匂いだけが、先に勝負を始めていた。
………
……
…
「できた!」
ソニアとリリスはほぼ同時に叫び、ようやく料理が終わったことを告げた。
「すんごい真剣でしたのね」
「包丁を使うのは初めてのようなものだから、慎重にやらないとね」
ユコの言葉に、リリスは当然のように答えた。
「リリスは包丁で人を刺したことがあるけどね」
「あるわけないでしょ!!」
ソニアのとんでもない発言に、リリスが声を張り上げたところで、品評会が始まった。
「さて、ラムリーザ様に味わってもらって、おいしいほうが勝ちってことですのね?」
「そういうこと。あれ? ソニアあなた、何をやっているのかしら?」
リリスは、ソニアの不可解な行動に首をひねった。
ソニアは冷凍庫を開くと、できあがったせそ汁を入れた椀に、氷をひとつかみ、がらがらと放り込んだのだ。これではせっかくできあがったせそ汁がぬるくなってしまう。さらにソニアは、今度はためらいもなく椀の中に指を突っ込んだ。
リリスがソニアの行動をぽかんとした顔で見ているうちに、さっさとせそ汁の入ったお椀を食卓で待つラムリーザの元へ持っていってしまった。
「あたしが先攻ね。ラム、できたから食べてみてー」
ソニアは、ラムリーザの口元へとお椀を近づけながら言った。
「そんなに近づけんでもいいから、そこに置いて」
「ちょっと待って、勝手に先攻後攻決めないで」
「いいの!」
リリスは不満を漏らしたが、ソニアは鋭い剣幕で先に食べさせることを主張した。
「先に食べさせて満腹にさせて、リリスの評価を下げる作戦ですのね」
「いや、せそ汁一杯ぐらいで満腹にはならないって」
ラムリーザは、リリスが用意している間にソニアのせそ汁を味わうことにした。
とは言っても、せそ汁自体は初めて食べるものだったので、まあこんなものかとか、これがせそ汁か、ぐらいの感想しか思いつかなかった。もともとグルメなわけでもないし、それよりもソニアの手料理を初めて食べた、ということのほうが感慨深かった。
「おいしかった?!」
ソニアは、ラムリーザの顔を覗き込んで真剣な表情で聞いた。
「うん、おいしかった……と思う。リリスのと比較してみないと、どっちがおいしいのかわかんないけどね」
そこに、リリスが自分の作ったせそ汁を持って食卓に現れた。氷を入れたソニアのせそ汁とは違い、湯気が立っていた。
「今度は私の番、冷めないうちにどうぞ」
「う……」
湯気の立つせそ汁を見て、ラムリーザは少し身構えた。焼きたての肉も、湯気の立つ椀も、ラムリーザは昔から一拍置いてしまう。
しかしそこに、ソニアは何を思ったか大声を被せた。
「ラム! 早く食べてみて!」
ソニアは、なぜかリリスのせそ汁を早く食べるように急かした。その態度に、リリスは少しばかり嫌な予感がしていた。
ラムリーザは少し迷いながらも、リリスのせそ汁に入っている白くて大きな四角いものを箸でつまんだ。これは豆腐と呼ばれているものらしい。ユライカナンではよく使われている素材だが、エルドラード帝国ではあまり見かけないものだ。
「早く食べろーっ!」
ソニアの大声に急かされる形で、ラムリーザはその豆腐を口の中へと運んだ。ラムリーザが豆腐を食べるのを確認したソニアは、突然食卓を離れて調理場へと駆け込んでいった。リリスとユコが不思議そうな顔でソニアの奇行を見つめていたそのとき――
「ぶふぉっ」
突然のラムリーザの奇声に、リリスとユコはびっくりした。ラムリーザは、テーブルの上に豆腐を吐き出してしまっていた。苦悶の表情を浮かべ、舌を出してはぁはぁ息をしている。
「ええっ? マズかった??」
リリスは何がなんだかわからなくなってしまった。そこにソニアがコップを持って戻ってきた。コップの中には氷水が入っている。
「はいラム、氷水」
ソニアはラムリーザにコップを手渡して、唖然としているリリスのほうを振り返って不敵な笑みを浮かべた。
「ちょっと待って、おいしくなかったの?」
リリスは慌てたように再び聞いてくるが、ラムリーザは「ごめん、熱いだけで味がわからなかった」と答えた。
「熱いだけって、何ですの?」
「あっ、まさか――」
そこでリリスは、ソニアがラムリーザにせそ汁を出す前に、氷を加えた意味を理解した。
リリスはラムリーザに差し出したお椀を急いで回収すると、調理場へと戻り同じように氷を入れて、もう一度持ってきた。
「こ、これでどう?」
「ラム、無理をしなくてもいいんだよ」
「あなたは黙ってて!」
ラムリーザは、再びリリスの用意したせそ汁を食べてみた。しかし、熱さで舌がやられていたために、どうも味がわかりにくかった。
「うーん、口の中がしびれて味がわからない……」
「そ、そんなっ?!」
「どっちがおいしかった?!」
そこでソニアは、ラムリーザの判定を求めた。なんとなく勝ち誇ったように聞こえるのは気のせいか?
「えっと、う~ん……」
しかしラムリーザは答えられない。ソニアのせそ汁しか「味」としてわからなかったから、判定のしようがなかった。
「あたしのは『おいしいと思う』って言ってくれたけど、リリスのは『味がわからない』って言っただけじゃん。おいしいのと味がわからないという結果で、どっちの料理が上か猿でもわかるよね?!」
「ちょっとあなた卑怯だわ、この勝負は料理の腕は関係なかったじゃないの!」
リリスの言いたいこともわかる。
ソニアの作ったせそ汁は、具材は不揃いだし、せその量は適当、おまけにニンジンの皮を剥いていなかった。
一方リリスは、出汁まで用意して、あらかじめ調べた分量でせそを加えている。具材もなるべく整った形で用意しているのだ。
普通に考えたら、リリスの作ったもののほうがいろいろな面で勝っているはずだ。
しかし、ラムリーザは熱い食べ物が苦手という困った特性があった。そのため、ソニアは先に氷で冷やしたものを与え、その後リリスの用意した熱いものを、無理やり食べさせるよう仕向けたのだ。
ラムリーザ以外が判定者なら、間違いなくリリスが勝っていたはずだ。
「何が卑怯よ! 食べる人のことを考えてあげないものを出すほうが悪いんじゃない!」
ソニアも負けてはいない。そしてこの発言に、リリスは反論できなかった。
リリスは、料理で負けた悔しさとは違い、何か別の敗北感を覚えていた。
これまでなら策を弄して手玉に取るのはリリスのほうだが、今回はその策でソニアに負けたようなものだ。せそ汁がどういった料理なのかを知った時点で、ソニアは策を思いついていたに違いない。
それに、この策が成功したのも、策を編み出したのも、ソニアにはラムリーザとの長年の付き合いがあり、何よりもお互いをよく知っているということから生まれたものなのだ。
「いいわ、今回はあなたの勝ち」
リリスはそれだけ答えると、食堂から退場していった。その力ない後ろ姿を見て、ソニアはガッツポーズしてみせるのだった。
「ふーん、ラムリーザ様は熱い食べ物はダメと、これはメモメモですわね」
一連の様子を見て、ユコは何かを記録しているようだった。
ちなみにラムリーザにとっては、これは大げさな反応ではなかった。熱い料理を無理に口へ入れると、あとで口の中の皮が剥けたようになり、夜まで痛みが残ることがあるのだ。
こうしてせそ汁対決は、ラムリーザの特性を知っていてうまく利用したソニアの勝利で終わったのであった。
まさに、神のせそ汁だ。
その夜、ラムリーザは口の中の痛みが気になって仕方がなかった。昼間、リリスのせそ汁で食べた熱い豆腐は、彼の口の中にいくつもの痛みを残していた。
上あごが熱く、焼けたような感覚がして、頬の内側は粘膜が荒れ、皮が剥がれたような感じになっている。
「まいったなぁ、口の中が痛い」
「リリスはラムのこと何もわかってないもんね。あたしはちゃんと、指を入れても平気な熱さにして出したよ」
「君が急かしたからだろうが……。しっかし、なんでみんな、あんな熱いものが好きなのかね」
「寒がりなんじゃないの?」
「はぁ、痛い」
「冷やせばいいと思うよ、シャーベットでも食べたら?」
「ん、そうする」
ラムリーザは、部屋に置いてある冷凍庫からシャーベットを取り出して食べ始めた。冷たさが口の中を冷やしてくれて、心地よい。
「冷たさで痛みを感じにくくなったよ。また痛くならないうちに、今日はもう寝よ」
「えー、もう寝るの?」
「ん、寝る。まだ起きていたければ、自分の部屋に戻ってね」
「やだ、あたしも寝る」
ソニアは、今の屋敷に引っ越してから、本当に一度も自分の部屋に戻っていなかった。まあ、それは割とどうでもよいことであった。
ソニアがせそ汁に指を入れたのには理由がある。ラムリーザがいつも『指を入れて平気じゃないものを口に入れること自体がおかしいよね』と言うので、その基準で確かめただけだった。
ラムリーザは熱いものが苦手だ。けれど、それを笑われるより先に、当たり前みたいに守られるのは悪くなかった。
ソニアは、こういうところだけ妙に頼もしい。