ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
領主夫人の教養とは
帝国暦九十三年 朧影の月・学匠の日(現代暦:四月中旬)
この日、ソニアは学校から帰り、屋敷の玄関をくぐったところで突然母親に捕まえられた。どうやら帰ってくるのを待っていたようだ。
「なっ、なぁに? お母さん、あたし悪いことしてないよっ?!」
ラムリーザは、慌てるソニアを尻目に、自分だけ部屋へ戻っていった。ソニアも後を追おうとするが、がっちりと腕をつかまれていて逃げ出せない。
ソニアの母親ナンシーは、フォレスター家のメイドだ。普段は屋敷の家事を担っているので、ソニアと顔を合わせるのは食事のときぐらいだった。それに、こうして捕まえてくることは、これまでほとんどなかった。
ナンシーは、ソニアを捕まえたまま顔を覗き込むようにして、厳しい顔で問い詰めた。彼女の背後から漂うのは、長年フォレスター家を支えてきたプロのメイドとしての、隙のない静かな圧力だ。
「ソニア、あなたはラムリーザ様の部屋に入り浸っているみたいだけど、気のせいかしら?」
「きっ、気のせいだと思うよ! でもラムとは恋人同士になったんだもん、部屋にぐらい行ってもいいでしょ?」
ソニアは、ラムリーザから「親には清い交際をしていることになっている」と言い聞かされていたので、とっさにごまかしつつ食ってかかった。夜も一緒に寝ているということは、まだばれていないようだし、ばれるわけにはいかない。守りに入るより、攻めるしかないと思って言い返す。ほとんどヤケだ。
「あなたの部屋の電気がついているのをあまり見かけないのですが?」
「カ、カーテン閉めてるからっ。ほら、遮光カーテンにしたの! だから部屋の明かりが外に漏れないのよっ」
苦しい言い訳だが、ありえなくはない。もっともソニアは、この屋敷へ移ってから、自分の部屋にはほとんど入ったことがなかった。要するに、去年と同じくラムリーザと一緒に生活しているわけだ。
「部屋に行っても留守がちですが?」
「たまたまトイレに行ってるか、たまたま寝てるかだよっ」
ナンシーはじっとソニアの顔を見つめ、ソニアも負けじと睨み返す。妙なところで肝っ玉が据わっているのが、ソニアの良いところかもしれない。
どうやらラムリーザが母親のソフィアに問い詰められる前に、ソニアのほうが先に捕まったらしい。しかしナンシーは、少し穏やかな顔になって言った。
「まあいいでしょう、屋敷の外に出ているわけではないからね」
「じゃあもう離してよ、もういいでしょ?」
「ダメです、本題はこれからです」
ナンシーは再び厳しい目つきになったかと思うと、おもむろに懐から一枚の通知書を取り出して、ソニアの目の前へ突き出した。その通知書には、いくつもの数字が書き並べられていた。
「なにそれ? 母の特別任務?」
「何が特別任務ですか、去年のあなたの試験結果の通知です」
「あっ――」
ソニアは再び逃げ出そうとするが、ナンシーは腕をつかんだまま逃がさない。
その通信簿には、ソニアの去年の悪行が明確に書き残されていた。四回の試験があり、一度目は酷い赤点。二度目はぎりぎり回避。三度目と四度目も赤点ではないが、平均点には遠い。
どうやら去年住んでいた屋敷に届いていた通信簿が、今頃ソニアの母親の手に渡ったようである。
「いいもんっ、勉強なんてできなくても関係ないんだもんっ」
ソニアは苦しそうに言い訳をするが、ナンシーは許さない。その上、ソニアにとっては厳しいことを告げられた。
「メイドや使用人になるのなら、学業は必須ではありません。しかしあなたはラムリーザ様の婚約者、いえ、将来の領主夫人になるのです。そうなると、それなりの教養が必要になります。領主夫人が無学では示しがつきません」
「む~……」
本当にそうなのかどうかはわからないが、母親が言うのだから本当のことだろうとソニアは思い、うなるしかなかった。
「ラムリーザ様と結婚しないのなら、勉強はしなくてよろしい。するのなら勉強――」
「お母さん、あたし勉強するよ!」
「――ならばよし」
ソニアはラムリーザとのことを挙げられて、とりあえずその場しのぎの返事をして逃げ出そうとする。しかしナンシーは、まだ逃がしてくれなかった。
「料理の一つや二つ、できないなんてみっともない」
今度はソニアの料理の腕前を問い詰めた。そういえば、ソニアはまともに料理をしたことはない。以前みんなで集まってバーベキューをしたときも、手伝うどころか邪魔ばかりしていた。
「なっ、なによっ、別に女だからって料理ができなくちゃいけないなんておかしい!」
ソニアは反論するが、ナンシーから先ほどと同じように、「ラムリーザ様のお嫁さんになるのなら、そのぐらいの教養は必要になります」と言われると、ソニアは何も言い返せない。
「さあどうしますか?」
「わかったわよ、やればいいんでしょ?」
やけくそになって答えたが、ソニアはそのままナンシーに引きずられて調理場へ連れていかれてしまった。
屋敷の調理場は食堂とつながっていて、カウンター越しに互いの様子が見える造りだ。
ソニアはそこで、まずは芋の皮剥きをナンシーに命じられた。ソニアもまさか今夜から突然母親の料理レッスンが始まるとは考えていなかった。いつもならこの時間は、ラムリーザの部屋でゲームをしているか、何かしているはずだった。
このぐらいの家事手伝いは当たり前なのか、去年一年間が自由奔放すぎたのか。とにかくソニアは、料理がめんどくさくて仕方なかった。
「はい、できたよ! これでもう終わっていいでしょ?」
不貞腐れたように、皮を剥いた芋をナンシーに差し出した。残念ながら、芋の大きさが少し小さくなっていた。その代わり、皮に身がかなり残っている。案の定、駄目出しを食らってしまった。
「ダメです、毎日練習しなさい。はいもう一度」
「え~……」
おかわりの芋を受け取りながら、ソニアは頬を膨らませてへの字口。ゲームの練習なら毎日やってもいいが、料理の練習なんてつまらないと考えていた。
五つほど芋の皮剥きをしたが、すぐには上達しないので次の課題に移ることになった。
「次はこのキャベツを千切りにしてもらいましょう」
そこでソニアはあることに気がついて、この場から逃げ出そうとした。
「ちょっと待って! あたし自治領主夫人になるから、料理は使用人にやらせるから、あたしやらなくてもいいはず!」
「何が自治領主ですか、どこの自治領へ行くのですか? それと、ソフィア様が料理できないとでも思っているのですか? 時々趣味でお菓子を焼いていますよ」
ソフィアとは、ラムリーザの母親である。また、ソニアはユコの口癖が移っていて、無意識のうちに自治領と口走ってしまった。どちらにしろ、ナンシーにこう言われては何も言い返せない。
「女だからって料理を強要するのは変!」
「その理屈を盾にして逃げるのも変ですよ」
こうなると、仕方がない。ソニアは、不満顔のままキャベツをナンシーから受け取ると、まな板の上にどかっと置いた。それから早速切ろうとして、あることに気がついた。
ソニアが一歩下がろうとすると、背後に張り付くナンシーにどんとぶつかった。
「逃げるんじゃありません」
ナンシーは、ソニアの両肩を後ろからつかみ、前に押し出した。
別にソニアは逃げ出そうとしたわけではなかった。もっとも逃げ出したいとは思っていたが、一歩下がったのは逃げ出すためではなかった。
ソニアは、まな板の上に置かれたキャベツを切ろうとしたが、そのキャベツを視界に入れることはできなかった。この立ち位置では、すぐ下にあるまな板を見ることはできず、視界に入るのは自分の大きな胸だけだった。要するに、胸が邪魔で足元が見えないのと同様の状態だ。
ソニアはまた一歩下がろうとするが、ナンシーに押し戻される。本当のことは恥ずかしくて言えない。母親に「胸が邪魔でまな板が見えない」なんて言えなかった。
「ふえぇ……」
胸の下に包丁を構えたまま、見えない刃が怖くて動かせなかった。結局ソニアは、困ったときのいつものフレーズを口走ることしかできなかった。
ラムリーザは、いつまで経ってもソニアが部屋に来ないので、少し心配になって屋敷内を探して回っていた。
もっとも、去年の春以前は恋人同士としていちゃいちゃしていたわけではないので、部屋は別々だったし、日によっては食事時しか顔を合わせないこともあった。
それでも去年の春以降はほとんど同棲状態だったし、いなければいないで寂しいものがあったのだ。
屋敷内をいろいろ回ったあと、ラムリーザは食堂に入ったところで、調理場にいるソニアを見つけることができた。
ソニアは、メイドのナンシーと調理台の間に挟まれ、なにやらもぞもぞと身じろぎしている。
「何をやっているのかな?」
「あっ、ラム、助けて!」
「これはこれはラムリーザ様、ソニアに料理の練習をやらせているところです」
ソニアは助けを求め、ナンシーは落ち着いて説明する。
「あっ、それいいね。ソニアの手料理を食べてみたい」
ラムリーザの一言を聞いて、ソニアは少し考えを改めた。ラムリーザが望むのなら、やってみよう、と。
そこでソニアは、キャベツを視界に入れようと一歩下がろうとするが、またしてもナンシーに押し戻されてしまう。それからもまたしばらくの間、下がったり押されたりの繰り返しをしていた。
「……さっきから、何をしてるの?」
ラムリーザは、先ほどとほとんど同じ質問をしていた。客観的に見ると、ソニアが逃げ出そうとしていて、ナンシーが押し留めているように見える。実際のところ、ナンシーはソニアが逃げ出そうとするので押し戻しているだけだが、ソニアの行動は、先ほど述べたように逃げたいのではなく「見えない」だけだった。
「逃げるんじゃありません」
ナンシーの言葉にソニアは「逃げようとしているんじゃないもん」とだけ答える。
それなら何をやっているのだ? と今度は頭の中で思い、ラムリーザは調理場へ足を踏み入れる。二人の姿を横から見ることができ、ようやくラムリーザにもソニアの意図が読めてしまった。
「ああナンシー、それじゃあソニアはキャベツを切れないよ」
「それはどういうことですか?」
「あっ、やだっ、ラム言わないでっ」
ラムリーザの指摘に、首をかしげるナンシーと、慌てふためくソニア。ラムリーザが何を言おうとしているのかソニアにはわかったが、ソニアにとってそれを言われるのは恥ずかしすぎると感じていた。しかし、黙っていたのでは話が進展しないので、ラムリーザは遠慮なく言わせてもらった。
「その位置、その角度だと、胸元が邪魔でその下のキャベツが見えてないよ」
「ふえぇ……」
思ったとおりのことを指摘されて、ソニアは顔を真っ赤にして悲鳴をあげてしまった。
ナンシーもソニアの肩越しに後ろから覗き込んで、「なんですかこれは、妙なところに栄養が行くから、勉強が置き去りになるのです」と理不尽な言葉を浴びせる。
「ひっ、ひどっ、あたし別になりたくてこうなったわけじゃないのにっ」
「それに何ですかその胸元は、ちゃんとボタンを留めなさい」
そういえば、学校から帰宅早々捕まったので、ソニアはまだ制服のままだ。胸が大きすぎてボタンが留まらないブラウスのまま。
ナンシーは、後ろから手を回してボタンを留めようとするが、どうやっても胸が邪魔で届かない。
「やだっ、やだやだっ」
ソニアはナンシーの手から逃れようとじたばたともがくが、包丁を持ったままなので見ていて危ない。
「まったくあなたは一体何なんですか!」
「しっ、知らないわよっ、ふええぇぇぇん!」
ソニアはナンシーから逃れると、包丁を放り出してラムリーザの脇をするりとすり抜けて、泣き声をあげながら調理場から飛び出していった。
「こらっ! 包丁を投げるんじゃありません!」
ソニアが放り出した包丁は、くるりと危なっかしく円を描き、まな板のキャベツに突き刺さった。それを見たラムリーザは、思わず一歩引いた。
「これまではあまりじっくりと見ることができなかったけど、まったく……あの子はあんな格好でうろついていたのですね」
ナンシーは、困ったような顔をラムリーザに向けてぼやいた。
「いや、あれはね、風船――じゃなくて、一メートル――いや……ほんと、何なんでしょうねぇ」
ラムリーザも、どう返答してよいものやらわからず、適当に相槌を打つぐらいしかできなかった。
二人きりで同居していた去年とは違い、親と一緒に生活するようになった今年。これはラムリーザだけでなく、ソニアにとっても災難な年の始まりだったようだ。
ソニアの泣き声が廊下の奥へ消える。去年までは、二人だけの不都合は二人で隠せた。
だが今年は――屋敷そのものが、味方でもあり、敵でもある。
これからいったいどうなることやら。