ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記

The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle


正しいこと、間違っていること

帝国暦九十二年 黄金の月・女神の日(現代暦:六月上旬)

 放課後、軽音楽部の部室では、ラムリーズのメンバーが集まって、それぞれ活動していた。

 ラムリーザとリゲルは、ドラムとギターでリズムを合わせる練習をしていて、ソニア、リリス、ユコ、ロザリーンの四人組はピアノの周りに集まってなにやら話し合いをしている。

 雑談に流れる気配はあるが、中心にあるのは演奏だ。誰がどのフレーズを担うか、短く意見を交わしながら、部屋の熱はゆっくりと演奏へ向かっていく。

 四人は最初はロザリーンの演奏をおとなしく聴いていたのだが、そのうち代わる代わるピアノの前に座って思うままに弾いてみせるようになる。

「こうやると、ロックンロールっぽく見えるかも」

 そう言って、リリスは鍵盤上をひじで滑らせてグリッサンドを弾いてみせる。もっとも、ピアノの鍵盤はちょっと固くてうまく音が出なかったが、キーボードでやれば綺麗に流れるだろう。

「いや、別に肘で弾かなくてもいいような気がしますよ」

 残念ながら、ロザリーンはあまり乗り気ではなさそうだ。

「だったら、あたしはこうだ!」

 そう言って、ソニアはリリスに代わって座り、自分の大きな胸を抱えると、鍵盤の上に落とすように乗せた。

 部室内にジャーンと、不協和音――というより雑音と言ったほうがいいものが響き渡った。

 

 その様子を、ラムリーザとリゲルは離れた位置から見ていた。

「お前の女、アホだろう」

「…………」

 リゲルに自分の彼女をアホ呼ばわりされて怒るべきなのだろうが、それが事実としか言えないのでどうしてもそれができない自分を、ラムリーザは非常に残念に思った。

 

「うぎゃっ!」

 

 その時、部室内にソニアの悲鳴が響いた。何事だ?

 ロザリーンが突然ピアノの鍵盤蓋を勢いよく倒したため、ソニアの胸が挟まれてしまったのだ。

 重厚な木製の蓋が、吸い込まれるようにソニアの柔らかな胸を押し潰した。鈍い音と共に、ピアノの弦が悲鳴のような残響を上げる。

 ソニアは顔を真っ白にして崩れ落ち、震える手で自分の胸を抱え込んだ。ロザリーンの瞳には、聖域を汚されたような怒りが冷たく燃えていた。

「いったぁい! 何すんのよ!」

 ソニアは胸を抱えて立ち上がり、涙目になってロザリーンを睨みつける。
              
ソニアが胸を押さえてロザリーンに抗議する場面
「ピアノをそんな破廉恥な使い方しないでもらえますか?」

 ロザリーンは、怒りを隠さずに厳しくソニアに言い放った。

 リリスはニヤニヤと笑い、ユコは困ったような笑顔、つまり苦笑を浮かべている。

「だからって酷いじゃないの!」

「酷いのはあなたです」

 その後、部室内にはソニアの上げた非難の叫び声が何度も響き渡ることになった。ちっぱいだの、乗せるだけの胸がないくせにだの、とてもじゃないが聞いていられない内容だ。

 

「…………」

「おい、ラムリーザ。あれなんとかしてこい……」

 離れた位置でその光景を見ていたリゲルは、演奏を止めて静かに、冷ややかに言った。リゲルの言うとおり、先ほどから発しているソニアの暴言は、とてもじゃないが聞くに堪えない。

 ラムリーザは仕方なく立ち上がると、口論が繰り広げられているピアノのほうへ向かっていった。

「君たちはいったい何をやってるんだ、ギャーギャー騒ぐんじゃない」

 ラムリーザはずっと見ていたので、何をやっていたのかはわかっている。それに、騒いでいるのはソニア一人だ。

「ローザがね、ひどいことするの! ラムも言ってやって! こいつね、自分のちっぱいさを僻んでいてね!」

 ソニアは、味方が来たとでも言うかのように、ますます強気にロザリーンを責め立てる。だがロザリーンは、落ち着き払って事実をそのまま述べた。

「ソニアさんが、胸でピアノ弾くなんてふざけたことするから許せなくてですね」

「ああ、見てたよ。ロザリーンが正しい……ったく、アホなことやってるんじゃない。それと、もう騒ぐな」

「むー……」

 拗ねるソニアを放っておいて、ラムリーザはさらに言葉を続けた。

「僕はちょっと用事を思いついたからいなくなるけど、君たちはピアノの周りに集まっていないで、自分の練習をすること。いいね?」

「はいっ」

 素直に返事をしたのはユコだけだった。彼女はピアノのそばを離れて、テーブルのほうへ向かっていった。

 返事はしなかったが、リリスもピアノのそばを離れていった。

 ソニアは胸を押さえたまま、ソファに座り込んでしまった。よっぽど痛いのだろうか……。

 ロザリーンはそんなソニアを見て、ふんと鼻を鳴らすと再びピアノを弾き始めた。

 みんながそれぞれ活動し始めたのを見届けて、ラムリーザは生徒会室に向かった。とりあえず、外でライブの予行演習を行うために、許可をもらいに行ったのだ。確か生徒会長はジャレスだったので、ラムリーザの願いは快く受け入れられるだろう。

 

 

 夜、下宿先の自室に戻ったとき、ソニアはいつもと違って沈み込んでいるようだった。そういえば、ラムリーザが校庭でのライブの許可をもらって生徒会室から戻ってきた後も、ソニアはあまり積極的に活動していないように見えた。

 ソニアは大きな胸を抱えてうつむき気味である。

「ソニア、胸が痛むのか?」

 ラムリーザは少し心配になって声をかけた。ピアノの蓋で挟まれたところが、まだ痛んでいるのかもしれない。

「うん、ちょっと……」

 ソニアが元気なく答えたので、ラムリーザは、ソニアをソファに座らせ、肩に手を回し抱き寄せて言った。

「少し見せてごらん」

 要するに胸を見せろということなのだが、ソニアは抵抗せずにブラウスのボタンを外して、胸を見せた。確かに胸の半ば辺りに、横一直線のあざができている。

「あー、これは痛いな……」

 ラムリーザはやさしくなでて、マッサージしてやる。ソニアが痛がらないように、あまり力を入れずに丁寧になでた。

「どうだ? 痛むか? あとで風呂でもマッサージしたらいいかな」

「うん……、でも気持ちいい」

 患部をなでるラムリーザの指先に、ソニアの熱い体温と、肌の下で脈打つ鼓動が伝わってくる。

 しばらくマッサージしてやるが、相変わらずソニアは沈み込んでいるようだった。

「んー、それとも冷やすほうがいいのかな……」

「ラム……」

 そのとき、ソニアはラムリーザの顔を見ながら呼びかけた。その目は悲しそうだった。

「どうした? そんな目をして」

 ソニアはしばらく訴えかけるような目でラムリーザを見ていた。そして、ふいに視線をそらしてつぶやいた。

「どうして……どうして庇ってくれなかったの?」

「……そういうことか」

 ラムリーザは、なぜソニアが落ち込んでいるのかを理解した。部活でロザリーンと口論になったときに、ラムリーザが味方になってくれなかったのが原因なのだろう。

 しかし、元はと言えば、ソニアが馬鹿なことをしたからであって、いわば自業自得のようなものだ。そこに庇ってやる道理などない。

 だが、今そのことについて突っ込めば、ソニアはますます落ち込んでしまうだろう。

 だから、ラムリーザは言葉を選んで言ってあげた。

「僕はね、ソニアが理不尽な責めを受けているときには、全力で庇ってあげたい。だから、ソニアが間違っているときは、ちゃんとそれを正していこうと思っているんだ」

「でも……」

「でも? つまりソニアは、僕の加護や権威を盾にして、無理を通して道理を引っ込めて、自分勝手に振る舞いたいのかい?」

「う、ううん」

「じゃあ、今日の事件の原因は何かな?」

 ソニアはすぐに答えず、しばらく目を泳がせていた。

 やがて再びラムリーザのほうを見て、そのまま少しうつむいて答えた。

「……あたしが馬鹿なことをやったから」

「そうだね、僕も見ていて恥ずかしかったよ。これからは気をつけようね」

「……うん」

 そこでラムリーザは、ソニアの落ち込んだ気配が、悲しみから後悔に変わったように感じた。そして、物わかりの良い娘でよかったと思う。

「それでも傷ついた胸は、なんとかしないとね」

 この場合、傷ついた胸というのは外傷を指すのか、それとも心を指すのか。

 ラムリーザはとりあえず外傷を癒すために、救急箱から冷却パックを取り出し、タオルで包んで渡す。

「理不尽なら全力で庇う。けど今日は、楽器に対する一線を越えていたよ」

 ソニアはうつむき、「分かってる。明日、ローザに謝る」と返す。

 しばし沈黙。冷却パックの水滴がぽとりと落ちた。

「次は、からかいじゃなく音で驚かせてね」

 そう言ってメトロノームを机に置くと、ソニアはようやく笑った。

「……うん。明日はちゃんと謝る」

 それにしても、ソニアが素直な娘でよかったとラムリーザは思った。これで好き放題したいなどと言い出した日には、交際を考え直す必要があっただろう。そのような乱暴な娘は、自分の評判を下げるだけにすぎない。

 ラムリーザの家は、かなりの権力を持っている。しかし、幼少のころからそれにおごらないよう厳格な教育を受けてきたのだ。だからラムリーザは、間違っていることを間違っていると理解できる人間になっていた。

 しかしソニアは、フォレスター家ほど厳格な教育を受けてきたわけではないようだ。
              
ラムリーザがソニアを後ろから優しく抱きかかえる場面
 窓の外では、少し欠けた月の光が静かに降り注いでいた。

 賢明な統治者が国を導くように、ソニアの手を引いていかなければならない、とラムリーザは思った。たとえそれが、時には冷徹に見える道だとしても。

 柱時計が刻む規則正しいリズムが、部屋の空気を整えていく。

 ラムリーザの腕の中で寝息を立て始めたソニアの横顔を見つめながら、ラムリーザはそっと彼女の髪に触れた。

 明日の部室では、きっと今日よりも少しだけまともな音が響くはずだ。間違いを認め、正しさを知った彼女が奏でる、新しい旋律だ。

 ラムリーザはその音を誰よりも近くで聴くために、ソニアをベッドに運び、静かに明かりを消した。

 願わくば、ソニアも馬鹿なことばかりやっていないで、もう少し真面目な娘になりますように。