ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記

The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle


ネットゲームをやろう その二 ~視界は画面だけ~

帝国暦九十二年 翠雫の月・白雪の日(現代暦:五月上旬)

 この日の朝、ラムリーザが目覚めたとき、ソニアはベッドにいなかった。

 いつもなら、この春に恋人になって以来、二人は寄り添って寝ていた。

 しかし今日は、ラムリーザは一人で目を覚ました。

 ソニアは早起きしたのかな? と思ったが、どうやらそうではないようだ。

 ラムリーザは身体を起こして、伸びをしながら周囲を見回す。
              
ソニアがネットゲームに夢中になり、テーブルで寝落ちしている場面
 するとソニアは、昨夜寝る前に見たときにはベッドのそばにいたはずなのに、ソファーの向こうにあるテーブルに座っていた。彼女は、携帯型の情報端末キュリオを握り締めたまま、テーブルに突っ伏している。キュリオとは、この世界のスマートフォンみたいなもので、昨日買ってあげたものだった。

 何をやっているんだ……と思いながら、ラムリーザはベッドを出て、ソニアのほうへ向かっていった。

 キュリオの画面には、昨日やっていたゲームが起動したままだった。これは寝落ちしたな……とラムリーザは感づいた。

「ソニア起きろ、朝だぞ」

 ラムリーザは突っ伏しているソニアを揺すって起こそうとする。しかし、かなり遅くまで起きていたのか、なかなか起きてこない。

「うーん……、あ……」

 起きたと思ったら、またキュリオの画面を覗き込んでゲームを再開してしまった。

「…………」

 その姿を見て、ラムリーザは何とも言えない不安を感じるのであった。

 

 朝食中も登校中も、ソニアはゲームをプレイし続けていた。

 ソニアはキュリオの画面を見つめたまま、ふらふらと歩いていて危ないので、ラムリーザは肩に手を回して支えてやる。しかしソニアは、肩を抱かれているにもかかわらず、とくに関心を示さなかった。

「そのゲーム、おもしろいか?」

「うん、ラムもやってみたらいいよ」

 ラムリーザの問いに、彼女は画面から目を離さずに答える。一応、話しかけると反応はするようだ。

「…………」

「…………」

 しかし、ラムリーザが話しかけないと、それ以上会話はなかった。

 肩に手を回して歩調を合わせても、彼女の視線は小さな画面の向こう側に固定されたまま。

 ぬくもりは伝わっているはずなのに、彼女の意識は通信回路の向こう側へと吸い出され、隣を歩くはずのラムリーザは、彼女の視界というキャンバスの「端」にさえ映っていない。

 横断歩道の信号が変わるたび、端末の通知音がラムリーザの声より先に彼女へ届く。会話は刈り取られ、相槌すら遅れていく。

 ラムリーザの胸の内で、危なっかしさへの不安と、画面に自分の居場所を奪われていくような情けない嫉妬が、同時に膨らんだ。

 

 

 この異様な状況は、教室に着いてからも続いていた。

 ソニアは、いつもならカバンを置くとすぐにラムリーザに引っ付いてくるのだが、今日は自分の席から動かず、じっとキュリオの画面を見つめ続けている。

 そのうち、リリスとユコも教室に姿を現した。二人とも、手に持ったキュリオの画面を覗き込んだまま、ふらふらとした足取りだ。

「…………」

「…………」

 ラムリーザを見ることもなく、言葉もなく現れて席に着くリリスとユコ。

 二人とも目が充血していて赤い。そういえば、ソニアの目もやばい。どれだけ夜更かししたのだろうか……。

 三人の長い髪も、少しよれよれだ。今朝手入れしていないのが丸わかりである。

 せっかくの美少女が台無しになってる……、と心配するラムリーザをよそに、ゲームに熱中している三人であった。

 チャイムが鳴り、授業中になると、三人は同時にキュリオを伏せ、同時に机へ沈む。教師のチョークが走る音だけが続いた。

 それでいて、休み時間になると、またゲームを再開するのだった。

 授業中までプレイしないのはまだいいとしても、ちょっと熱中しすぎじゃないのか、とラムリーザは不安に思った。

 

 昼休み、三人は購買部からパンを買ってきて、それをかじりながら相変わらずゲームを続けていた。

 三人とも血走った目で携帯端末の画面を睨みつけていて、必死な様子が十分にうかがえる。

 ラムリーザは、何がそこまで必死にさせるのだろうと考え、ふと昨日のことを思い出した。そういえば「十日ほど育てて勝負しよう」、そんなことを言っていた気がする。

 そのルールでプレイするということは、その間どれだけプレイしたかという時間が、ほとんどすべてとなってしまう。一秒でも惜しんで敵を退治して、経験値を稼いでキャラのレベルアップを繰り返すのだろう。

 昼休みの終盤、彼女たちの端末がいっせいに鳴る。

 ピロン――スタミナ全回復。ドン――レイド出現。ピピ――@呼び出し。ピッ――デイリー更新。

 呼吸より先に、教室の空気がゲームで脈打った。

 ラムリーザは、この状況が十日も続くのか……大丈夫か? と思うのであった。

 

 放課後。

 リリスとユコは、帰り支度を整えて、さっさと帰ろうとしていた。

 ラムリーザが「部活は?」と聞いても、「今日は行かない」とそっけなく言って二人とも帰ってしまった。

 隣の席にいるソニアを見ると、彼女は帰ろうとはしなかったが、そのままゲームの画面から目を離さない。

「ソニア、どうするんだ?」

 とりあえずラムリーザは声をかけてみることにした。

「え? もう帰るの? あ、こんな時間?」

 だがソニアは、心ここにあらずといった感じで画面を見たまま答えるだけであった。

 このときラムリーザは、明らかにまずい兆候だなと思った。

 しかし、この調子だと部活に行っても仕方ないと思い、今日はソニアを連れてこのまま帰宅することにしたのだ。

 むろん、帰宅中もソニアは歩きながらゲームを続けていた。

 結局今日は、学校ではほとんど会話のない一日になった。

 

 

 下宿先の屋敷に戻ってからも、ソニアはゲームに熱中したままであった。

 ラムリーザが入浴後に夜風に当たっているときも、部屋でくつろいでいるときも、ソニアはひたすらゲームをプレイし続けていた。どうやらソニアは、入浴すら放棄したようである。

 ラムリーザは、黙々とキュリオの画面を凝視しているソニアが可愛くないので、見ていても面白くない。しかたなくドラムでも叩いて時間をつぶすか、とドンタットドンタットやっていたところ……。

「うるさいなぁ!」

 ソニアは不満そうな声を上げた。

 叩き慣れたビートが、部屋の空気を震わせる。いつもなら、このリズムに重なるはずのベースの低音が聞こえない。代わりに響いたのは、愛しい恋人の、低く苛立った拒絶の声だった。

 ちょっと待て、とラムリーザは思った。これまでは、ラムリーザがドラムを叩き出すと、進んでベースギターを手に取って参加してきたものだ。そもそもこの演奏は本来ソニアが……つまりソニアは、音楽も放棄したというのだろうか……。

「……ごめん」

 誰に謝るでもなくつぶやき、ラムリーザはスティックを置いた。静まり返った部屋に、キュリオの電子音だけが勝ち誇ったように鳴り響く。二人の「合奏」が、無機質なゲーム音に負けた瞬間だった。

 仕方がないので、ラムリーザはゲーム機を立ち上げて、四月にソニアが買ってきたギャルゲー『ドキドキパラダイス』を始めてみることにした。それでソニアの反応をうかがってみるのだ。あれほど見られるのを嫌がっていたのだから、プレイすると文句を言ってきそうなものである。

 ひとまずゲームの概要を知るために、ソニアがプレイしていたセーブデータを立ち上げてみることにした。

 主人公の名前がラムリーザだ……。ソニアはいったいこのゲームで何をしたかったのか……ということを、すぐに思い出した。確か、ゲームのイベントをそのまま演じることで、ラムリーザの関心を引こうとしていたんだっけな。

 ラムリーザは、ちらちらとソニアの様子をうかがいながらゲームを進めていった。テレビ画面からは、女の子の可愛らしい台詞が流れている。

 だが、ソニアは何も関心を示さなかった。本来なら、ラムリーザがこのゲームをプレイしてみようとしたら、「あたしがいるんだからそんなゲームやらなくていい」と、自分が買ってきたくせに邪魔してきたものだ。

 しばらくゲームを進めてみて、これはいい、と思える台詞が表示されたので、ソニアに投げかけてみた。

「ソニアはかわいいなあ!!!」

 だが、何の反応も返ってこなかった……。

 

 寝る時間になってもまだソニアはプレイを続けている。昨夜と全く同じ状況であった。

 ラムリーザがベッドに入っても、まだまだやり続けていた。帰宅してから七時間近く、ぶっ通しでキュリオの画面とにらめっこだ。昨日から考えると、深夜の時間も合わせたら十五時間はプレイしているかもしれない。

 これは昨日と同じだし、無駄かな……と思いながらも、ラムリーザは「おーい、そろそろ寝るぞ」と言ってみた。しかし、「うん、もうちょっと」と同じ返事が返ってくるだけで、その場から動こうとはしなかった。

 これはちょっとヤバイかもしれないな……と思うものの、どうすることもできず、ラムリーザは明かりを消して眠りにつくのだった……。

 おそらく、リリスとユコも同じ状況だと思われる。確実にネットゲーム廃人への道を歩んでいるようだった。

 暗い部屋では、携帯端末の光に照らされたソニアのやつれた顔だけが、まるで幽霊のように浮かんでいた。

 画面の光がまぶたの赤を透かし、親指が小刻みに跳ねるたび、影が壁の上で痙攣した。

 ――これは十日で終わるのか? 終わるはずだ。勝負は「十日」と彼女たちが決めた。なら、あと九日だけだ。期末前の一夜漬けみたいなものだ、とラムリーザは自分に言い聞かせる。

 ベッド脇の充電ケーブルは生温かく、差しっぱなしのアダプターが微かな熱を持っている。さっき位置を直そうとして「動かさないで」と囁かれた声が耳の裏に残っている。彼女の世界では今、経験値バーが砂時計の代わりなのだ。

 通知音が鳴る。また鳴る。遠い雷みたいに、布団の奥へ染みてくる。静けさは少しずつ削られ、「明日には落ち着くだろう」という根拠のない楽観だけが、布団の中で膨らんではしぼんだ。

 目を閉じる。数える。九、八、七――。画面の光は消えない。

 彼はそれでも眠りに落ちるつもりでいた。あと九日、目覚ましのように鳴る通知音が、静けさを完全に奪い去ることも知らないままに。

 暗闇に慣れた目の裏側に、ソニアの顔を青白く縁取る液晶の残像が焼き付いている。時折、布団をかすめる彼女の指の動きが、何かの暗号を刻んでいるようにも、助けを求めるもがきにも見えた。

「……明日には戻るよな」

 自分に言い聞かせたそのつぶやきは、ベッドを占領する冷たい「沈黙」に飲み込まれていく。

 深い眠りの淵で、ラムリーザは夢を見た。それは、電子の海に飲み込まれていくソニアの指を、彼だけが掴めずにいる、果てしなく青い夢だった。