ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
体育館の牧場(羊と牛の午後)
帝国暦九十二年 朧影の月・太陽の日(現代暦:四月中旬)
体育館に集合の号令が響く。
床にはワックスの匂いが立ちこめ、窓からはやわらかな光が帯になって差し込み、バスケットゴールの影が長く伸びている。
壇上の黒板には白チョークで『握力・背筋力・上体そらし・長座体前屈・反復横跳び』と大書。
教師が記録用紙の束を掲げて言った。
「二人一組で相互記録、自己申告はなし。数値は将来の種目選択にも回すから、ごまかしたら来週やり直しだぞ。器具は丁寧に扱え、壊したら職員会議行き」
その一言にどよめきが走る。鉄のメジャーが伸びる音、握力計のバネの軋み、ストップウォッチの小さな電子音。体育館の空気が、遊びから『計測』へ切り替わる。
ラムリーザは用紙に自分の名前を書きながら、指を軽く握っては開く。数値はただの数字――のはずだが、今日の数字はどこか先へ続く道標になるような、そんな予感がした。
「二人組か、リゲ――」
ラムリーザが二人組をつくろうとリゲルに声をかけようとしたところで、後ろから誰かに腕をつかまれた。
「ソニア? って待て、ソニアと?」
「先生は男女で組んだらダメとは言ってないよ」
「……まあいいや」
というわけで、ソニアと二人で測定を進めることになった。競技ではないので、体力差を気にする必要はないだろう。
しかしなぜか、やるからには勝負しようという話になってしまったのだ。むろん、ソニアからの提案だ。
「まずは握力勝負!」
ソニアはそう言って握力計を握りしめる。女子の身で男子に勝とうとでも言うのだろうか。
「どやっ、32Kg!」
「うん、すごいね」
ソニアの出した結果は、女子としてはかなり高いほうであった。
「はい、ラムの番」
ソニアは得意げになって握力計を手渡すが、ラムリーザの結果は、ソニアの倍以上となったのである。その数字は実に89kg、並の握力ではない。
「くっ、脳筋ラム!」
「ちょっと待て、脳は関係ないだろ?」
「脳みその中まで筋肉だから、そんな化け物じみた数字が出るんだ」
「それじゃあソニアは、おっぱいの中まで筋肉ってことだね」
二人の罵り合いは、いまいち品がない。それでも別に喧嘩をしているわけではない。
そんな二人をよそに、握力計を受け取った先生が親指でバネを二度押しして、「ん? 壊れてないか?」と首を傾げる。
隣の列から小さなざわめき。「89?」「マジ?」――何やら数字が一人歩きし始めていた。
「ふんっ。次は上体そらしをやるから押さえて……ってこれ、測る人が必要じゃない?」
「あっちで係員が計っているよ」
上体そらしは三人必要なので、係の生徒が計測役をこなしていた。
ラムリーザとソニアはそこに行って、今回もソニアから計測することになった。
「ほらラム、太ももを押さえて」
ラムリーザはそう言われて、ソニアの体操着とサイハイソックスの間に見える、むき出しの太もものあたりを押さえる。そして計測が始まった。
「ちょっともまないでよ」
「おおっと、いつものくせでつい」
「ラムのバカ!」
「おおっと、ロケットおっぱいを強調しております」
ラムリーザのつぶやきに、係員の生徒が「ぷっ」と吹き出す。
身体を思いきりそらしているので、ソニアのつんと尖った大きな胸は体操着を盛り上げ、ものすごい存在感を放っていた。
「ちょっと、ふざけたこと言わないでよ! 何がロケットよ!」
ソニアは素早く身体を戻して、両手で胸を隠しながら文句を言う。
「あんまり騒ぐな。さっきは計測できなかったみたいだからやり直し。ほら、おっぱい突き出して」
「ちっ、違うでしょ!」
どうやら今回の罵り合いは、ラムリーザに分があるようだ。
今回の結果は、ソニアは52cm、一方ラムリーザは47cmであった。
続いて長座体前屈では、ソニアが48cm、ラムリーザが37cmとなり、体の大きさの差による不利もある中で、ソニアが勝ったのは大したものだ。しかし背筋力では、ソニアが76kg、ラムリーザが183kgで、ラムリーザが圧倒することとなった。
このように、握力などの筋力系はラムリーザに分があったが、上体そらしなどの柔軟性ではソニアに分があるようだ。
そして最後に、反復横跳びをやることになったのだが……。
「どうしたソニア、しんどいのか?」
「くっ……胸が……」
上体が激しく揺れて、ソニアの大きな胸も大変なことになっている。揺れて痛いのか、片腕で押さえたまま飛ぶので、身体のバランスが悪く記録が伸びない。
その様子を見て、ラムリーザはこれまでのことを思い返していた。
そういえば、ソニアは小学生の頃は運動が得意だったが、中学に入ってから徐々に運動が苦手になっていったような気がする、と。
今になって思えば、急激に胸が成長していったことが運動の邪魔になっていたんだなと考えることができる。
いつの頃からか、胸を押さえながら走るようになって、今では全力疾走できなくなっているような感じだ。
それでもラムリーザは、一歩だけ近寄って「片手で押さえるな、体幹がぶれる」とアドバイスした。
ソニアは、「でも痛いの……」と言って再挑戦したが、記録は伸びず。
「難儀なおっぱいだの」
「全く、嫌になっちゃう……」
結果、ソニアが28点、ラムリーザが42点で、ラムリーザの圧勝であった。
そんなこんなで測定は終わり、終わった者から各自自由時間となっていた。ラムリーザはソニアと体育館のステージ脇の上り階段に腰を掛けて休んでいた。
そこに「ラムリーザ、どうだったかしら?」と声をかけてきたのはリリスだ。
「まあ、ぼちぼちだね」とラムリーザは無難に返しておく。
「ラムリーザさんの記録が見てみたいですわ」
ユコは、そう言ってラムリーザから記録用紙をひょいっと取り上げた。
「体が硬いですわねぇ、長座体前屈37cm?」
「うるさいよ」
「ちなみに私は52cmですわ……って、ええっ、握力89kg? 嘘ぉ……」
「いや、嘘じゃないって」
「だってほら、私は38kg、リリスなんて32kgよ。倍以上あるじゃないの……」
「握力はソニアよりも強いね」
ユコもリリスも、女子にしては力が強いほうだ。特にスポーツをしているわけではないが、一体どうやって鍛えたのだろうか。
そんな感じでラムリーザがリリスやユコたちと記録の見せ合いっこをしていたところ……。
「ごろにゃーん♪」
「な、なんだあ?」
突然ソニアが、ラムリーザに後ろから抱きついた。ロケットおっぱいを、遠慮なく押しつけてくる。
「にゃーん」
そして抱きついたままじゃれつく。引きはがそうとしたが、しっかり張りついていて離れない。
「にゃーんにゃーんって、なんつーか、君は猫ってイメージじゃないんだよな」
仕方ないので、ソニアの好きにさせておいた。周囲の視線が気になるが、この場合では妙に映るのはソニアの行動のほうだ。
「じゃあ何ー?」
「んー……何だろ」
と言って、リリスとユコのほうを見て答えを促す。二人とも少しジト目で見ているので、ラムリーザは苦笑して返すしかできなかった。
「そうね……」
リリスは少し考えていたが、すぐに手をポンと打って「ひらめいた」って表情になった。
「あなたは牛よ、くすっ」
「ぶっ」
リリスの牛発言にラムリーザは吹き出した。
「牛ってなによー、あたしそんなにのんびりさんに見える?」
ソニアには、リリスの牛発言の真意が読み取れなかったようだ。身体的特徴の一点だけを指して、牛に例えたのだが。
「だって、ねぇ」
リリスはユコのほうを向いて同意を求める。
「え、ええ。そ、そうね」
ユコは困ったような笑みを浮かべている。どうやらわかっていないのはソニアだけのようだ。
「じゃあラムは何?」
「ラムリーザ……ラム……羊?」
「羊?」
「あ、それわかる。ラムはいつものんびりしているからねー」
「そうかそうか。じゃあ仲良く牧場に帰るか?」
ラムリーザは、それって性格やイメージじゃなくて、単に名前から発想しただけじゃないのか? と思ったが、どうでもいいことなのでスルーすることにした。
「私はどんなイメージかしら?」
リリスは微笑を浮かべてラムリーザを見つめて問いかけた。その瞳には、何かを恐れているような色がわずかに含まれている気がする。
ラムリーザは、じっとリリスの様子を見て、頭にひらめいたことを言った。
「……黒豹かな」
「黒豹? うん、黒豹、なるほどね」
そう答えるリリスは、まんざらでもない様子だ。それに、どこかほっとしているようにも見える。
「ユコは?」
「うーん、ユコかぁ……」
「ごろにゃーん」
ユコのイメージを考えていたラムリーザに、またしてもソニアがじゃれ付く。これではまるで、ラムリーザがリリスやユコと話しているのを邪魔しているようだし、事実、ソニアは邪魔をしていた。
「ちょっ、だから君は猫じゃなくて牛だってば」
「ンモー、ンモー」
鳴き声を変えただけで、じゃれつくのをやめようとしない。本当に気がついていないようだ。
二人の様子をじーっと見つめるリリスとユコの視線に、ラムリーザはきまりが悪くなってきていた。
「もういい、牛と羊は牧場に帰るね」
仕方がないのでそう言い残して、ラムリーザは背中にしがみついているソニアをぶら下げたままリリスたちから離れていくしかなかった。
こうしてソニアは、ラムリーザをお邪魔虫たちから遠ざけることに成功したのであった。
体育館の喧噪が少しずつ薄れ、片付けの金属音だけが残る。ラムリーザは記録用紙を折りたたみ、無造作にポケットへ入れた。
記録表を束ねながら、体育教師が半笑いで肩だけこちらに向ける。
「フォレスター、腕相撲は校内でやるなよ。相手の骨が折れる」と冗談めかした声が、握力計の金属臭に混じって残る。
リリスは黒豹じみた目で横目をくれ、すぐ視線を切った。ユコは作曲ノートの端にさらさらと「ドラマー=重心◎」と書き添え、ペン先で二重線を描く。
ラムリーザは窓の外の山風を見て肩をすくめた。
片付けのガラガラという台車の音が遠ざかり、体育館の空気が薄くなる。
「腕力の使い道は、そのうちわかる」
誰の言葉でもない一言が、ラムリーザの胸の奥で小さく繰り返された。