ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記
The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle
恋愛ゲーム、実地演習
帝国暦九十二年 朧影の月・森人の日(現代暦:四月上旬)
「ラム、膝の裏にキスしていいよ」
移動教室での化学の授業の後、理科室でラムリーザは、他のクラスメイトが全員出て行くまでソニアに足止めを食らっていた。
大事な話があると言うので素直に残っていたら、二人きりになったとたん、この台詞である。
「なんぞ?」
訝しむラムリーザをよそに、ソニアはくるりと後ろを向き、机に手をついてお尻を突き出してきた。
「え~と……」
ラムリーザは、ソニアがなぜ急にそんなことを言い出したのか、さっぱりわからなかった。
「キス……してほしいのか?」
「えっ? したくならないの?」
「えっ?」
ラムリーザは何の冗談かと思ってソニアの顔を見るが、首だけ振り向いた彼女は至って真面目な顔をしている。キスはキスでも、足にキスしろと言われたのは初めてだ。
「……それはいいとして、靴下の上からキスしろと?」
「え、ああ、ちょっと待ってね」
そう言ってソニアは、右足のサイハイソックスを太ももの半ばからふくらはぎの半ばまでずり落とす。黒い布がめくれ、その下から白い肌が現れた。
「これでいいでしょ?」
「…………」
「ほらほらー」
「……うん、それじゃあ」
ラムリーザは、まったく訳が分からなかったが、ソニアがやってほしそうにしているので、かがみ込んで膝の裏に口をつけた。
「……これでいいかな?」
「どう? うれしいでしょー?」
「…………?」
「えへへ、またなにか喜びそうなことが出てきたらやってあげるね」
喜びそうなこと? 僕が? そもそも何で膝の裏? 普通に口じゃダメなのか? ラムリーザは、何が何だかわからなかった。
理科室を出る前、ソニアは机の影で、制服のポケットから小さく折りたたんだ紙切れをそっと開いた。
角には猫のシールが貼られ、丸文字で『膝裏→大成功』と走り書きされていた。消しゴムのかすが残る横には、鉛筆で薄く『雨=特効』の文字。
ラムリーザが覗き込む前に、彼女は素早く紙をたたみ直し、胸を張って振り返る。
「えへへ、実地検証、クリアだよね」と、聞こえるか聞こえないかの声でつぶやきながら、彼女はにやりと笑った。
教室に戻りながら、したり顔で嬉しそうに隣を歩くソニアを見て、ラムリーザはずっと不思議に思うのだった。
ラムリーザはじーっと隣を歩くソニアの顔を見ていたが、その視線に気がついた彼女は、にっこりと微笑み返してくるだけだった。
階段に差しかかった時、ソニアはラムリーザの肩に回された腕の中から抜け出していった。そして胸を手で押さえ、壁に背を預けるようにしながら、横歩きのような格好で階段を下りていく。階段を下りきると、再びラムリーザにすり寄ってきて、肩に手を回してもらうのだった。
ラムリーザは、ソニアが離れていって階段で妙な動きをしているのを見て、あることに気がつき話しかけた。
「靴下、ずらしたままでいいのか?」
ソニアの右足の靴下は、先ほどキスしてもらうためにずらしたままだ。たるんだ様子が不格好に見えてしまっていた。
「いいの、せっかくキスしてくれたんだから」
「そ、そうか……」
ラムリーザは、どうでもいいことなので、そのまま放っておくことにした。
教室に戻って自分の席についたラムリーザは、ふう……とため息をついたが、すぐに思い直して後ろの席を振り返って言った。
「なあ、リゲルは膝の裏にキスしたことはあるか?」
「は?」
天文学の雑誌を読んでいたリゲルは、目を上げて怪訝な顔でラムリーザを見ている。
ラムリーザは気づかなかったが、その目つきは、彼が先ほどソニアに「膝の裏にキスしていいよ」と言われた時に見せた目つきと酷似していた。
「いや……なんでもない、忘れてくれ」
ラムリーザは、その反応が普通だよな……と考え、この話は切り上げることにした。
「何の話か分からんが、脚を舐めるってのは、その相手を屈服させる時に使うものではないか?」
「…………」
「まあ、お前に脚を舐めさせる奴がいるとしたら、相当な大物だろうな」
「……仮にだ、仮にリゲルに彼女がいるとして、脚を舐めるのを強要してきたらどうする?」
「ふっ、そんな変な奴はポイだな」
「…………」
ソニアは変な女の子なのだろうか……。
ラムリーザは、遠くの席に座っているソニアのほうを見てみた。斜め後ろから見る形になるので表情まではわからないが、机にひじをつき、手を組んで口元に当て、じっとしている。
以前、母にソニアと付き合うことにしたと話した時に言われた「三年間様子を見ます」という言葉の真意が、ラムリーザにはわかったような気がした。
それは、ソニアに実は変な性癖があった場合に対処するためなのだろう、と。
勘弁してくれと心の中でつぶやく。これまでずっと一緒にいて、こんな変なことはなかったのに、ここにきて突然豹変するのはやめてくれ……。
何か変なものでも食べたのだろう、そうであってほしいと願うのであった。
しかし、ラムリーザの心中と呼応するように、外の天気もだんだん怪しくなってきていた。
放課後、ラムリーザはいつものように教室の窓の外の景色を眺めていた。
空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気を漂わせている。
今日は部活に行かずに、さっさと帰ったほうがよさそうだな、とラムリーザは考えた。朝は晴れていたので傘を持ってきていないのだ。
「ラムリーザ、今日はもう帰ったほうがいいぞ」
「そうだな」
帰宅準備が終わったリゲルは、そう言って席を立ち帰っていった。
「私たちも部活やらずに帰るわ。また明日ね、ラムリーザ」
リリスとユコも連れ立って、今日は早めに帰ることにしたようだ。
「また明日」
そう言ってから、ラムリーザも遅ればせながら帰宅準備を始めた。下宿先まではそう遠くないので、そんなに慌てる必要もないだろうと余裕を持って行動しているのだ。
「らあむ♪」
気づけば、帰り支度を済ませたソニアが目の前に来ていた。何やら嬉しそうな、それでいて悪巧みをしているような顔をしている。
何かいいことでもあったのか? とラムリーザは考えたが、ソニアが次に言ったことは予想の範囲を超えていた。
「ねえ、繁華街に買い物に行こうよ。ねえ、行こうよ」
「な……」
この天気だぞ……と思ってラムリーザは言った。
「明日とかじゃダメなのか?」
「うん、今日じゃないとダメなの」
どうやら急ぎの用事みたいだが、そんな急ぎの用事ならラムリーザにも前もって話しているはずだ。
「じゃあ一度帰ってから傘を準備してだな……」
「それじゃ間に合わないの!」
ソニアは窓の外を一瞬だけ見上げ、唇の内側で小さく数える。
「発生条件……天候:雨(開始直前)、傘なし、二人きり、目的地未定、移動中密着――判定よし」
そして制服のポケットの中で、指先がメモをつまむ音がした。
「今しかないの。降り出す前に外へ出ること、ここが分岐点だから」
早口の独り言をラムリーザに聞かせまいと笑顔でかき消し、「行こ、今!」と手首をつかむ。その掌はわずかに汗ばんでいて、焦りと期待を隠しきれていない。
ラムリーザは、そんなに急ぎの用事って何なんだ。そもそも寄宿舎に傘を取りに戻ってもそんなに時間が変わるわけじゃないのに、と訝しんだが、ソニアは手首をつかんだまま強引に引っ張っていった。
「本当に雨が降りそうだってば!」
「雨じゃないとフラグが立たないの!」
「フラグ?」
「こういうのは『降り出し直後』がいちばん効くの! ね、急いで!」
ラムリーザは、何が何だかわからないまま手を引っ張られて繁華街へと繰り出した。
繁華街に向かう途中、ラムリーザはソニアにおそるおそる尋ねてみた。
「えーとなー、ソニア。脚を舐めさせて、僕を屈服させたいのかい?」
「え、屈服?」
「今日理科室でやらせたじゃないか」
「違うよー、舐めるじゃなくてキス。犬がじゃれつくみたいな感じでー……」
途中で考えが途切れてしまったのか、言葉が止まった。
屈服させたいとか考えているわけじゃないみたいだが、ソニアが結局何がやりたかったのか理解できなかったラムリーザであった。
繁華街に着いた頃には、空はますますどんよりとしていて、いつ降り出してもおかしくない状況になっていた。
「なあ、こんなに急いでいったい何を買いに来たんだ?」
ラムリーザの問いに、ソニアは「えーとねー」と答えただけで言葉を濁す。見たところ、用事というより何かを待っているように見える。
「早くしないと降ってくるぞ……というか降ってきたよ!」
ポツリと水滴が額に当たるのを感じた。それから雨が本格的に降ってくるまでに、そんなに時間は要さなかった。
「まったく仕方ないな、どこか喫茶店でもいいから雨宿りしよう」
「こっち!」
近くの手頃な店でも探そうとしたラムリーザの腕をつかんでソニアは走り出した。
雨粒はだんだんと多くなってくる。このまま行くと、土砂降りになる可能性もありそうだ。
喫茶店があったが、それを素通りして腕を放さずにどんどん駆け続けた。
そして、とある場所でソニアは「ここに入ろう」と言ったのだ。
「…………」
眉をひそめて、すぐそばに立っている連れの様子を見るラムリーザ。
一方ソニアは上手くいったと言わんばかりのしたり顔でにこにこしている。
外では雨が強く降っているが、二人はとりあえず雨宿りはできているようだ。だがしかし……。
「えーとね、ソニアさんや。なんでこんなところで雨宿りするのかね?」
「ウキウキしてこない?」
「せんよ……」
「えー」
二人は電話ボックスの中で雨宿りをしていた。雨が酷くなる前にここに入ろうと、ソニアは提案したのだった。
「さっき喫茶店あったのに……」
「ここのほうが絶対いいと思うんだけどなー」
「僕はソニアがなぜそう思うのか、さっぱりわからんわー、わからんわー」
「そう?」
少し俯き、不満げに眉を寄せて、上目遣いにラムリーザを見るソニア。
いや、この状況で不満げにされても困るのだが……と困惑するラムリーザ。
ガラス一面に雨の網目。受話器からは古い樹脂の匂い。二人の呼気がガラスを白く曇らせ、指で丸をなぞればすぐに消える。
すでに通りには誰もいなくなっていた。電話ボックスの中で、二人は無言のまま見つめ合い、打ちつける雨の音だけが周囲に響いていた。
「日が暮れるまでに帰れるかな?」と、ラムリーザは空を見上げて小さくつぶやいた。
ソニアがおかしい……、今日は奇行だらけだ。
膝裏へのキス、階段での横歩き、そして雨が降りそうなのにわざわざ出かけること。
この日は結局、雨が上がるまで電話ボックスで過ごす羽目になった。そして雨が上がったあとは、特に何もするでもなくそのまま帰宅することになったのだから、ますますわけがわからない。
そして部屋に帰ると、ソニアはまたギャルゲーに熱中するのだった。
(君はいったい何がしたいのだ……)
残念ながら、ラムリーザの心のつぶやきがソニアに届くことはなかった……。
その夜、ソニアはコントローラーを握ったまま舟を漕いでいた。テーブルの端には小さなメモ帳が半分はみ出していた。
ページの余白に、丸で囲まれた走り書き「膝裏Kiss◎」「雨/傘なし/二人きり/密着◎」「電話ボックス=親密度+?」
風がカーテンを揺らし、紙片が一枚だけめくれる。ラムリーザはそれに気づかず、窓の外の星のない雲を眺めている。メモの表紙には小さく「イベント回収ノート」とだけ記されていた。
テレビ画面には、ゲームの主人公とヒロインが電話ボックスで雨宿りしているグラフィックが表示――。