ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記

The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle


笑えと言われて写真を撮られそうな新天地

帝国暦九十二年 風花の月・氷狼の日(現代暦:四月上旬)

 やわらかくこぼれるような春の日差しを浴びるこの日、いよいよ帝都を出立して新天地へ向かう日がやってきた。

 ラムリーザとソニアの二人は家族に別れを告げ、帝都の中央にある駅に向かっていた。駅までは距離があるので、ソニアの父親である執事が運転する車で向かうことになっていた。先日のパーティーのときと同じだ。

 車で数十分走り、帝都シャングリラの駅に到着した。そして車を降りると、執事が言った。

「ラムリーザ様、ソニアをよろしく頼みます」

「わかったわかった、何度も聞いたよ」

「お父さん、あたし一人でも大丈夫だってば」

 それを聞いて執事は安心したのか、一礼すると車を走らせて去っていった。

 

 休日の午前十時とあって、駅はそれほど混雑していない。

 二人は並んで駅に入っていった。

「ねぇ、ラム。二人だけで駅に来るのって初めてだね」

「そうだね。二人だけで帝都から出るのも初めてだけどね」

 親に連れられて、家族でバケーションなどに出かけることは何度かあったが、二人きりで帝都を離れるのは初めてだった。先日のパーティーも、母親同伴だった。

「これもデートなのかな」

 ソニアは冗談っぽく言ってみるが、ラムリーザはただ「引越しだ」と淡々と答えるだけだった。デートなら先日、帝都の繁華街でお別れ会と称して一度しているが、まだ恋人同士になったという自覚は薄い。

 大きな荷物はあらかじめ運んであるので、二人の持っていくものは普通サイズのかばん一つ分ぐらいに収まっている。

「ねえ、ラム。これから行くところってどんなところなの?」

「西の果てにある地方都市ってのと、ポッターズ・ブラフという名前しか知らないなぁ。なにしろ、初めて行くところだからね」

「笑えって言われて写真を撮られそうなところね」

「なんやそれ」

 ポッターズ・ブラフというのは帝国の地方都市である。それほど大きくないが、西の国境にもっとも近い場所でもあり、一応は要所でもあるので、辺境の田舎というほどでもない。ただ、貴族が多く古都の趣を持つ帝都とは違い、中規模で新しい印象の街だ。そして、それほど近いところでもなく、特急の蒸気機関車で二時間ほどの距離にある。

 その汽車には、先日のパーティーの際に一度乗ったことがあり、勝手も覚えていたので迷うことはなかった。そもそも、その駅自体には何度も来たことがある。汽車の行き先は調べなければならないが、その汽車が停まるホームを間違えることはない。

 駅のホームに風が流れた。金属のにおいと、遠くで鳴る汽笛の低い音。

 汽車が動き始めると、先ほど乗ってきた、執事の運転する車が窓から見えた。車は駅からどんどん遠ざかっていった。

 車が小さくなって見えなくなると、ラムリーザは胸の奥にかすかな違和感を覚える。

 ――帝都の風は、もう自分たちを引き止めない。

 もう一度鳴った汽笛の音が、日常の終わりの合図のように聞こえた。

「あ、席が空いてるよ。あそこに座ろうよっ」

 しかしソニアの元気な声が、ラムリーザをまた別の新しい日常へと引き戻す。

 向かい合わせの席が空いていたので、二人はそこに向き合う形で座ることにした。

 そして、外の景色を眺めているソニアを、ラムリーザはぼんやりと見ているのであった。

 彼女がいれば、帝都を離れても楽しくやっていけると確信した。 

「待てよソニア、君はその格好で出てきたのか……」

 ラムリーザはソニアの姿を改めてじっくりと見て、ぼそっとつぶやく。

「きゅ、急に何よ?」

「いや、昔はいろいろ可愛い服着ていたのに、ここのところずっとそのだぼだぼのニットじゃないか」

「だってしょうがないじゃん。別にいいでしょ?」

 ソニアは胸を押さえて顔を赤らめ、再び窓の外に目をやる。

 ソニアの下半身はいつもの際どいミニスカートで、そこから伸びた健康的な太ももがまぶしい。だが、オープンな下半身に対して、上半身はガードが固い。大きめのニットを腹のあたりでだぶつかせて、大きな胸が目立たないようにしているのはわかる。だが、それゆえに太って見えるのだ。

「せめて、そのだぶつかせるのはやめろよ。ちゃんと伸ばして着てみて」

「だって、こうなるのよ……」

 ソニアは、だぶついている腹回りの生地を下へ引っ張った。すると、隠されていたものが姿を現した。ソニアの大きな胸のラインが強調されて、うむ……バスト98cmは伊達じゃない。まるで顔が三つあるようだ。

「太って見えるのよりは、胸が強調されているほうがずっといいと思うけどな――ってか、だぶつかせているの、変だ」

「変? うーん、そうかなぁ……」

 ラムリーザに「変」と言われて、ソニアは困ったように自分の胸を見下ろす。そして、ぎゅっとその大きな胸を、上から押さえつけた。

「まあいいか。学校が始まれば、一日の大半を制服で過ごすわけだし、夜はナイトガウンを着るからな。ソニアの残念なところは、私服のときだけだからな」

「制服……ボタンの留まらないブラウス……ふえぇ……」

 ソニアは、先日試着した制服を思い出して、大きくため息をついた。
 
 窓の外を流れる景色が、帝都の石畳から緑の丘に変わっていく。
 
 ソニアは頬を窓に寄せながら、ガラス越しに自分の映る顔を見つめた。

 ――この顔を、ラムはいつまで見ていてくれるんだろう。

 そんなことを思う自分に気づいて、笑って誤魔化した。

 

 列車は、そんな二人を乗せて進んでいった。

 

 

 

『ポッターズ・ブラフへようこそ、ポッターズ・ブラフへようこそっ。降車口は右側です』

 

 二時間ほどして、目的地のポッターズ・ブラフに着いた。

 駅前は古風な帝都と違ってのんびりとしており、ビルは少なく小さな店が並ぶ。人通りも多くなく、繁華街という雰囲気ではない。ただ新しい町並みが広がっている。

 帝都と違ってバスターミナルはなく、タクシーが数台停まっているだけだ。その駅を囲むように、オレンジ色のガザニアの花が並んで咲いていた。

「ねえ、ラム。寄宿舎はどんなところ?」

「えーと、駅からそれほど遠くなかったはず。寄宿舎じゃなくて、たしか親戚の住んでいる屋敷なんだ。あまり会ったことがないから詳しくは知らないけど、父方の遠縁らしいよ」

「学校も駅から近いんだっけ」

「確かそうだね。というより駅から一番近いからそこに決めたんだけどね。しかし……ふむ、正解だったな」

「えっ、何が?」

 ラムリーザにじっと見つめられて、ソニアは少し顔を赤らめた。

「ソニアを連れてきたこと」

「え……」

「やっぱり君といたら楽しいよ」

「た、楽しい? あたしって楽しいの?」

 ソニアの顔が、ぱあっと輝いたように見えた。

「うん。これが場合によっては、一人で来ることになっていたと思ったらね」

「あたしも楽しい、ラムと一緒に旅行ができて」

「旅行というより帰宅なんだけどね」

 そんな会話を交わしながら、二人は汽車を降り、駅から出ていこうとした。

 そのとき、駅の中に二人組の女性が入ってきた。二人とも髪を腰まで伸ばしていて、一人はプラチナブロンドで神秘的な雰囲気をまとい、もう一人は黒髪で妖艶な雰囲気を漂わせていた。二人ともまごうことなき美少女で、歩く仕草もスタイルも抜群だ。

 その二人はラムリーザとソニアの傍を通り過ぎて、談笑しながら駅の中へ進んでいった。

「ふーん……この町の女の子は綺麗だな」

 ラムリーザは、いつの間にかすれ違っていった二人の美少女に見惚れて振り向いていた。うん、後ろ姿も美しい。ソニアとは違う、大人びた香りもかぐわしい。

 その瞬間、ラムリーザの中に、見たことのない光景が一閃した。

 ――青い空、白い雲、草原。
              
駅の中の回廊を歩く二人の女性と、後ろで立ち止まり振り返るラムリーザとソニア
 ……あれ?

 このときラムリーザは、先ほどの二人をどこかで見たような気がした。しかし思い出そうとした途端、記憶は霧の中に消えていった。

 

「ラームッ!」

 ソニアのよく通る声が耳元で炸裂し、ラムリーザはハッと我に返った。

 振り返ると彼女は口を尖らせてラムリーザを睨みつけている。

「あたしと一緒だと楽しいから連れてきて正解、って言ったそばから浮気?」

「うん、不思議だね。世の中は不思議なことで満ち溢れているから楽しいんだよ」

「意味わかんないよもぉ。しかも否定してないし……ぽっと出にかっさらわれる幼馴染なんてやだっ!」

「すれ違っただけの相手に嫉妬するのもどうかと思うけどな」

「何よ、あんなちっぱいにデレデレしちゃって」

「しとらんがな。それとちっぱいってなんだよ……だがな!」

 勝手に嫉妬し始めてうるさいソニアに辟易したラムリーザは、がっと肩を抱き寄せた。

「こういうことはソニアにしかしないんだけどな」

「もー、ラムったら……」

 ソニアは、頬をふくらませたまま、抱かれた肩を小さく叩いた。しかしその指先には力がなく、抗議よりもむしろ照れくささのほうが勝っているように見えた。

 ラムリーザは、その温もりを確かめるようにしばらく黙っていた。

 周囲では、汽車を降りる人々の声や、荷物を運ぶ車輪の音が絶え間なく響いている。遠くで鳴く鳥の声が混じり、空はもう真昼の白さに染まっていた。

 駅を出ると、南国特有の湿った風が吹き抜けた。

 森の香りが、すぐ西側に連なる山脈の存在を告げている。帝都では感じたことのない、やわらかな風だった。

 ソニアはその風を胸いっぱいに吸い込み、顔を上げた。その横顔には、まだほんの少し嫉妬の名残があったが、それさえも日差しに溶けていくようだった。

「ねぇラム、この町、なんか匂いが違うね」

「風に混じってるのは、森の匂いかな。あと、花の匂いもする」

「ふーん、やっぱり田舎って感じ。ラムがいなかったら、たぶん一日で退屈してた」

「だったら、僕がちゃんと退屈させないようにしていかないとな」

 ソニアはくすっと笑った。

 その笑顔が、つい数分前まで嫉妬で頬を膨らませていた顔と同じものだと思うと、ラムリーザは少しだけ胸を締め付けられた。

 ソニアは、いつだって感情をそのまま表に出す。だからこそ、他の誰よりもわかりやすく、そして危うい。

 彼女の笑顔が、これからどんな風に変わっていくのだろう。新しい環境で、新しい人と出会い、知らない感情に触れるたびに――

 その無邪気な顔が曇る日も、きっと来る。けれど、それでもいい。そのときは、自分がもう一度笑わせてやればいい。

 無理矢理にでも「笑え」と言って、その顔を写真に撮っても構わないとすら思う。笑っている彼女が一番好きだ。

 ラムリーザは、そんなことを考えながら、ソニアの髪をそっと撫でた。日差しを受けてきらめく青緑の髪が、手のひらをすり抜けるようにやわらかく揺れる。

「ポッターズ・ブラフ、どんなところだろうね」

「そうだな。何かを始めるには、悪くない場所だと思う」

「ふふっ、ラムがそう言うなら、きっと楽しいよ。それに――」

「それに?」

「写真が撮りたいかも」

 ソニアの一言に、ラムリーザは先ほど自分が思い浮かべたことを見透かされたのかと、少しドキッとした。
              
蒸気機関車のある駅前の通りで、花壇の横をラムリーザとソニアが並んで歩く
 駅の時計が、正午を告げるように短く鳴った。

 ソニアは軽やかに一歩を踏み出し、ラムリーザもその後ろを追う。二人の影が、春の日差しの中でゆっくりと重なり合う。

 そのとき、ラムリーザはふと立ち止まり、振り返った。

 ホームの向こう、彼方に霞む線路の先に、帝都の町並みがかすかに残っているような気がした。

 もう戻らない景色。それでも胸の奥で確かに響いていた。

 ――新しい生活が始まる。

 そしてそれは穏やかで、どこか危うい春のような日々になるのだろう。

 ラムリーザは目を細め、笑みを浮かべた。

 その笑顔の先には、もう帝都ではなく、ポッターズ・ブラフという新しい光が、ゆっくりと広がっていた。