ラムリーザ・サーガ フォレストピア創造記

The Ramlyza Saga – Forestpia Chronicle


似非お嬢様、社交界デビュー

帝国暦九十二年 風花の月・賢者の日(現代暦:三月下旬)

 アンテロック山脈は、帝国西端の、隣国ユライカナンにもっとも近い街の西側に連なる山脈だ。そのアンテロック山脈の中腹に、オーバールック・ホテルが建っている。山中で涼しい場所ということもあり、西側の地方では主に避暑地として用いられ、それ以外の季節はパーティ会場として使われている。

 今日はそこで入学前のパーティが行われることになっていた。

 ラムリーザとソニアは、ラムリーザの母親であるソフィアと共に、帝都から蒸気機関車で西の最果てへ向かった。

 汽笛の音が、まだ眠っている街の屋根を震わせて遠ざかっていく。

 ラムリーザたちを乗せた蒸気機関車は、帝都を離れて西へと進んでいる。窓の外では、鉄の車輪が響かせる音とともに、春の霞がゆっくりと流れていった。

 帝都を離れて数時間、空の色はだんだんと真昼の青から淡い琥珀色へと変わり、空気は湿り気を帯び始めた。

 列車が西へ進むほど、風は温かく、どこか甘い匂いを運んできた。遠くにはヤシの木が並び、山裾には赤い瓦屋根の家々が点在している。

 車内のランプが光を投げかけるたびに、ソニアの青緑色の髪が青く反射し、ラムリーザの目に映った。

「ねえ、ラム。暑くない?」

「暑いけど、風があるからまだましだね」

 窓を少し開けると、木と花の混ざった風がふわりと流れ込む。ソニアは手のひらを風にかざし、そのまま微笑んだ。帝都の乾いた風とはまるで違う、生命の匂いがした。

 機関車は西の最果てにある街に到着し、そこからタクシーに乗ってホテルへ向かった。

 道路はやがて山腹に沿うように曲がり、丘の斜面を縫って進む。外の景色が一気に開け、眼下には深い緑の森と、遠く輝く海が見えた。光は強く、白い雲が山肌に影を落としている。

 その向こう、緑の谷を見下ろすようにして――目的地のオーバールック・ホテルが、真珠のような外壁を輝かせていた。

 

 会場のホテルが見えてくると、初めてのパーティ参加で不安を覚えていたソニアが、ラムリーザに尋ねた。

「ねえ、ラム」

「なんだ?」

「今日みたいな場所では、どう振る舞ったらいいの?」

「そうだなぁ」

 ラムリーザはこれまでに参加したことのあるパーティのことを思い出しながら考えた。このような場に出る女性は、名家の令嬢であることが多かった。ただ今回は、親のパーティに子供としてついていくのではなく、自分自身の交流も主な目的として参加する、という点が違っていた。

 ……となれば。

「猫をかぶることはできるか? 例えば深窓の令嬢みたいに」

「え、いやー、あはは、ちょっと無理かも。真相解明のための家宅捜索令状なら取れるけど」

「なんやそれ――ってか、取れないよね。まあ普通に考えて無理だよな。それだったら、あまり喋らずにおとなしくしていたほうが無難かな?」

「ん、わかった」

 ソニアは令嬢ではないので、このような場での礼儀作法の知識はまったくないのだ。数日前にラムリーザと付き合うことが決まり、急遽参加することになったのだから、準備はほとんどできなかったも同然だ。

 もっとも、これまでにもメイドである母から何度も作法について言われてきたのだが、ちっとも聞いていなかったという現実がある。

 そんな二人のやりとりを見て、ソフィアはくすりと笑ったようだった。

 

 三十分ほど車で移動し、目的地の会場に到着した。

「さてと、行こうか」

「うん」

 ラムリーザはソニアの手を取ると、車を降りて会場へ向かっていった。

 いつもと違うドレス姿のソニアを見て、ラムリーザは「脚が見えないと、なんだか新鮮だな」と言った。

 それを聞いたソニアは、「あっ、足元見えてるよ!」と慌てたように返した。脚とは言ったが、足元とは言っていないのだけどね。

 しかしソニアは、ホテルの入り口に向かうなだらかな階段で、段差に足を引っ掛けて転びそうになった。

「ほら、ちゃんと足元見て」

「むー、正直このドレス、歩くのに邪魔ー」

「いつも脚出しているもんな。足元が隠れて見えにくい?」

「ミニ丈のドレスでもいいのになぁ」

「慣れてきたらそうするか?」

「うん、それいいっ。むしろそのほうがいいっ!」

 などと微妙に噛み合わない会話をしながら、二人はホテルの支配人に案内されて、パーティが開催されている大広間に到着した。

 そこにはすでに何人も集まっていて、大小さまざまなグループに分かれて談笑している。この地方在住である名家の学生とその親が集まっているのだ。

 部屋の中央には大きなテーブルがあり、その上にはいろいろな料理が用意されている。

「さすがに知った顔はないな」

 帝都ならラムリーザにとって知り合いは多いが、初めて来たこの地方で知った顔がないのも仕方ないことだろう。

「ラム、あのごちそうおいしそう」

 一方ソニアの興味はテーブルの料理に向かったようだ。

「まあいいや、少し食事にしようか」

「うん」

 というわけで、二人はテーブルに向かい、それぞれ気に入った料理に手を伸ばした。

 ラムリーザは、食事をしながら会場の状況を観察していた。

 すでにできているグループに入り込むか、それとも新しい輪を作るか。後者を選ぶなら、一人でいる人や少人数のグループを探さなければならない。

 しばらく観察していると、一人の男性が目に留まった。窓際で一人、ギターを弾きながら物思いに耽っているようだ。一人でいることと、ギターを弾いている姿に、ラムリーザは興味を持った。

 

「二人とも食欲旺盛ね」とソフィアに話しかけられた。

 会場に入ってからは別行動していたが、親同士の顔合わせもあるので、ラムリーザの母であるソフィアも同席していた。

「こほん、腹が減っては戦(いくさ)はできぬ……というか、どこに入っていこうか考えていてね」

「ラム、このローストチキンおいしいよ」

 焼いた鶏肉を頬張り、幸せそうな笑顔でラムリーザのほうを見るソニアだった。

「ラムリーザ、紹介します。ライデル・シュバルツシルト卿ですよ」

「ライデルと申す。この南部地域の鉄道と物流を管理している」

「新都市との交通網等について、今後話す機会が多くなると思うので挨拶しておきなさい」

 ソフィアに紹介されて、ラムリーザは軽く頭を下げた。

「はい、ラムリーザ・フォレスターです。そしてこちらはソニア・ルミナスです」

「ラムリーザ君か、丁度いい。私の息子に会ってくれたまえ。聞くところでは同い年だから、この春から君と同じ学校に通うんだ」

「えっと、その方はどちらに?」

「彼だよ」

 ライデル氏が指差した先にいたのは、ラムリーザが先ほど見かけた、窓際でギターを弾いていた男性だった。

「わかりました、会ってきます」

「ラム、あたしはどうしたらいい?」

 ソニアは、ラムリーザについていきたそうな、でもごちそうも食べ続けていたいような、なんとも中途半端な表情をしている。

「うーん……今は好きなだけ食べていたらいいや」

「うん、そうする」

 ソニアをテーブルに残すと、ラムリーザはその人のところに歩いていった。

 
 その男性は長身で、整った銀色の髪と、氷のように冷たく光る水色の瞳をしていた。全体にクールな雰囲気をまとっている。そして、左目に片眼鏡(モノクル)をつけているのが特徴的だった。

 ラムリーザが近くに来ても、関心がないようにギターを弾き続けている。関心がないというより、人を避けていると言ったほうが正しいだろうか?

 そんな様子だったが、ラムリーザは気にせず声をかけた。

「僕はラムリーザ・フォレスター、よろしく」

 ラムリーザの挨拶に、彼は目配せで応じただけだった。

 演奏を邪魔されたくないんだな、と察したラムリーザは窓辺にもたれてそのまましばらく、彼が奏でる音楽を聞いていた。そして、一曲弾き終えるまで、黙ってその演奏に耳を傾けていた。
              
ギターを演奏するリゲルと、それを聞いているラムリーザの場面
「ギター、うまいね」

 ラムリーザは、演奏が終わった時にすぐ声をかけた。

「まあな」

「迷惑じゃなかったら、一曲歌ったりできないかな?」

「そうだな……」

 彼は少し考え、やがてギターをジャランと鳴らして弾き語りを始めた。

 その曲はラムリーザも知っている歌だった。打楽器の代わりに膝をパチパチ叩きながらリズムを取りつつ、メインパートに合わせて歌ってみる。高めの声のラムリーザが歌うパートと、彼の低めの声のパートがハモる。初めての即興だったが、思った以上にぴたりと噛み合った。

 このときラムリーザは、ソニアに付き添ってきただけのつもりだったが、音楽やっていてよかったなと思うのであった。

 しばらく歌い、そして小さな演奏会は終わった。もっとも、観客は誰もいなかったが。

「ありがとう、楽しい時間を過ごせたよ」

 歌い終わってラムリーザは言ったが、彼は短く「うむ」と答えただけだった。

 ラムリーザは、彼はあまり人と話すことを好まない人だと判断し、今日はここらで切り上げることにした。今度会ったときに、また一緒に歌えたらそれでいいと考えた。

「じゃあ、僕はこれで」

「うむ……ああ、ちょっと待て」

「ん?」

「俺はリゲル。リゲル・シュバルツシルトだ」

「あー、リゲルか、よろしく」

「うむ、ラムリーザだったかな?」

「ああ、ラムと呼んでいいぞ」

「……ラムリーザ、またな」

 これが、ラムリーザとリゲルの出会いであった。

 

 一方その頃、食事中のソニアは、他の令嬢に話しかけられたりしていた。

 その令嬢はのほほんとした表情で、「あなた、初めて見る顔ですねぇ。だあれ?」とのんびりした口調で話しかけてきた。

「ソニア・ルミナスよ」

「ルミナス……ルミナス……聞いたことのない家名ですわねぇ」

「……あはは、あたし帝都から来たの。だからこの辺りでは知られてないのかもね、あはは」

 もっとも、ルミナス家はフォレスター家に仕える使用人一家なのだが、ここでは触れないでおいてあげよう。

 何か嫌だな……と場違いな場所に出てしまったという気分になってしまうソニアであった。つんとすました令嬢に対して、ひきつった笑顔しか見せられない。本来のソニアなら、こんなことはないのだが、初めての慣れない場所というのもあって、非常にぎこちない。

 ソニアに話しかけてきた令嬢は、その間もじろじろとソニアの胸を見ている。その視線に気がついたソニアは、「な、何?」とその令嬢を訝しむ目でにらみ返す。

「いえ、そのお胸、なんだかあり得ないかなって思いましてぇ。帝都では、そんなふうに詰め物で大きく見せるのが流行っているのですかぁ?」

「つっ、詰め物じゃないわ! 自前よ!」

 会場にソニアの甲高い声が響き渡る。一瞬だけざわつき、視線がソニアのほうに集中する。

 令嬢は、集まる視線とソニアの声にびっくりして、そそくさとその場を立ち去っていった。

 ラムリーザに「おとなしくしていろ」と言われたことは、すっかり忘れてしまっているようである。

 そしてしばらくの間、ソニアは一人で食事を、主に肉料理をつついて過ごしていた。

 

 一方ラムリーザは、母親ソフィアに連れられて、他の新しい人に挨拶していた。

「こちらがポッターズ・ブラフ首長のハーシェル卿」

 ソフィアの紹介に、ラムリーザは「しばらくこの街にお世話になります」と頭を下げた。

「うちにも今年から高校一年の娘がいるんだ、紹介しとくよ」

「あ、ちょっと待ってください」

 ラムリーザは、首長の娘の紹介を少し待ってもらい、食事中のソニアを手招きで呼び寄せた。

 ソニアが来るより早く、ラムリーザの前に、茶色の髪をポニーテールでくくった、真面目そうなお嬢様が姿を現した。

「ロザリーンです」

「ラムリーザです」

「ソニアでっす!」
              
ラムリーザとソニアとロザリーンが挨拶する場面
 ソニアは駆け込んできてお辞儀をし、顔を上げた。口元にケチャップをつけたまま、にっこりと微笑むのであった。似非お嬢様はわかりやすい。

 ラムリーザは、ソニアの頬についたケチャップを見て、思わず吹き出しそうになった。

 周囲の貴族たちが作り笑いを浮かべる中で、その笑顔だけが本物の光を放っているように思えた。

 ――ここは、家ではない。それなのに、ソニアがいるだけで空気が家の中みたいになる。

 さっきまでの音楽も、令嬢たちの会話も、遠い世界のことのように感じる。

 煌びやかな照明が天井のガラスに反射して、無数の光が床に踊っている。その光の一つひとつが、どこかで彼女の髪に触れて、やわらかく弾けて消えていく。

 ――この子が笑っている限り、外の世界も悪くない。

 しかし、同時に気づく。自分が「家の外」にいることを。

 ここには、名家の子弟や野心を隠した笑みがあふれている。フォレスター家の後継者としての顔が、少しずつ背中に貼り付いていくような感覚があった。

「……ソニア」

 ラムリーザは、彼女の名を小さく呼んだ。ソニアは、振り返って無邪気に首を傾げる。その一瞬の仕草が、息をするほど自然で、窮屈な空気を打ち砕いていった。

 ラムリーザは胸の奥で、静かに線を引いた。

 ――社交界と家。外の世界と、ソニア。そして自分。

 その境界は、今はまだ曖昧でいい。いつか明確に向き合う時が来るのなら、それまではこの笑顔の隣で過ごせばいい。

 パーティのざわめきが少しずつ遠ざかり、窓の外では夜風がヤシの葉を揺らしていた。

 ラムリーザは、その音を胸の奥にしまい込み、静かに目を閉じた。